Re: 信教の自由は異教徒弾圧の禁止だ。少々錯誤して居ます。
"村上新八" <shinpa@cronos.ocn.ne.jp> wrote in message
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> 信仰とは、神佛を信じ、敬い、その訓えに従うことである。この「信じる」ということは、神仏の存在の可否とは関係ないのである。神や仏の存在は、ことの性質上否定も肯定もでないもので、「信じる」ということは、神仏が居ようと居まいとそんなことは、関係なく、頭から信じることなのだ。それは、「鰯のあまた」や「おれは浮気はしていない」という夫の言葉を頭から信じることと同じである。そういうことができる人が信者になるのである。
> 異教徒弾圧の歴史は古い、遡れば、ギリシャ時代以前からあった。しかし、考えてみれば、異教徒とは、その土地で一般に普及している宗教とは異なる宗教の信者ということで、異教徒を嫌うのは、余所者を嫌うのと同じなのだ。
> しかし、その土地の人がよその土地に移れば、自分が異教徒になるのである。そこでは彼我逆転して今度は自分が弾圧されることになるのだ。
> これは理不尽な話である。信教の自由は、こんなところに由来する思想であろうと思う。
> しかし、余所者意識がなくならないと同じで異教徒差別意識もこれをなくすのは難しいのである。
> 村上新八
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Re: 信教の自由は異教徒弾圧の禁止だ。少々錯誤して居ます。
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概略指摘の通りの総括的な歴史です。
しかし、神道国学の示す信教の自由は異なります。
其のことなりとは輪廻に於ける信教の自由です。
即ち、輪廻は基本的な信教の自由が時代と共に少しずつ変化します。
言い換えれば、現在では信教を甲骨亀甲因書の解読で・・・
言論の自由に対する「信教の自由」になります。
即ち、貴殿の論を信じて教えられる。又々信じられない主張。
その選別を「信教の自由」として各々の個人が情報の主張を吸収する。
又々放棄して取り入れない。即ち、自民か民主党かの選別をする自由。
刻々と変化する輪廻に追従する信教の自由が人間の根幹に存在する。
で・ないと現在の言論の自由と情報の乱立からは安定する情報は得られない。
靖国神社の合碑祭祀精霊の追悼も其の輪廻に従わざるを得ないのです。
即ち、合碑祭祀精霊を純粋に追悼する人々。それに異議を唱えて霊魂を無視。
その双方共に「信教の自由」があります。
其の自由の自己確立のために堅持する。そこには信教の自由は双方が弾圧。
簡単に戦いが始まります。信教の自由は破壊されて皆無です。
信教の自由は世界的な精神的戦いでしょう。しかし負けるわけには行きません。
信教の自由も言論の自由も結果的には戦い守護するものと思います。
その正常な結果は、靖国神社の合碑祭祀精霊は静かに眠るでしょう。
各々の信教の自由をお互いが認め合いながら・・・!
A級戦犯も所詮は一人の人間の精魂です。中国政府は信教の自由の弾圧です。
信教は一人の人間が自ら内に定める自由を信教の自由と言います。
信教の自由は世界の人々の心を動かすと思います。これ等は聖徳太子より・・
継承する神道国学の輪廻の辞気に古来から存在し「和を以って尊しと為す」
この甲骨亀甲因書の辞気は深いのです。
神道国学者
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