名張の毒葡萄酒事件の再審開始棄却が決定した。
 正直に言って、未だ犯人とされる人が存命であった事に驚いている。
 再審は新たな事実が明白な事の証明が絶対条件と考えているが、葡萄酒から同一毒物の検出がなされていない事を理由に再審請求がなされたと記憶している。 
 当時の分析技術は如何なるものだったかは不明だが、私の経験では製品名は特定出来ないまでも、成分の特定、製剤の特定は昭和40年代には行っていた。
 被験液(この場合葡萄酒、胃内容物)から、何等かの異物が検出されない限り事件には至らない。
 犯人と特定するには、他の物証、状況証拠が充分であった筈と思う。
 冤罪事件とされた事件再審が多かった時期だけに三重県警は慎重に捜査していたと思う。

 弁護団は特別抗告を行うそうだが、果たしてその事が本当に被告の利益に繋がるのだろうか?
 万一冤罪だとして、釈放されても、新たな環境に対応するには、余りにも齢を重ね過ぎている。
 35歳以降80歳に至る迄塀の中で過ごした人が、本当に冤罪であったとしても無罪とされる苦痛も考慮する必要は無いだろうか?
 今回の事件は被告の利益を考慮する事の意味を考えさせられる事件である。
 名誉回復と言われても、本人はおろか、親族、子供にはむなしく聞こえるだけではないだろうか?
 
 改めて事件を思い出さされる苦痛を考えると、裁判に余りにも時間が掛かり過ぎ、何が事実かすら疑問に思える迄経過した後に、証拠云々で競う事に疑問を感じる。
 決して、無罪の人を有罪のままで良いとは言わないが、もっと合理的な方法は無かっただろうかと考えさせられる。