戦後 マッカーサー元帥に対して昭和天皇は戦争の全ての責任を負うと発言されています。
正確には侍従を通じました。しかしマッカーサー元帥との会談で「二人きり」同じ事を言われたと伝えられています。しかし其の会談は守秘義務があり、マッカーサーが公開しない限り不可能です。

其の帰結が戦犯の法廷に立つ事が無かったのです。
既に侍従の周辺から漏れて来た真実の史実であります。
其の天皇の日本国民からの信頼で戦後の政治政策にマッカーサーが
利用したのは公然の事実になっています。

           織部
  "Tokio komori" <komori@earth.ocn.ne.jp> wrote in message 
news:f118s1$qha$1@news-wst.ocn.ad.jp...
  小生の手元にある戦争史によると、1932(昭和7年1月8日)に昭和天皇は関東軍にたいし「忠烈を嘉(よろこぶ)かすという勅語を発している、これをみても昭和天皇は戦犯ではないか、不祥事が起きた時部下のせいにして責任逃れをした社長のような靖国不参拝は納得できない。

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            小森 時男