リトル・シスター(2)

○さつきとメイ
 次の週に、律儀にも、私は地中海クリニックへと出かけた。検査結果は
どうでも良くなっていたが、とりあえず、自宅を家捜しするような調査の
弁解ぐらいは聞いておきたかった。
 前と同様に、診療開始前からやってきたのだが、今回は先客が待合室に
いた。プロレスラーのような体格で、仕立てのよさそうなダブルの背広を
着込んでいる。私が入っていても、目も呉れずに待合室に置いてあった週
刊誌の記事を読んでいた。私はこの男の前に並べてあった週刊誌をひとつ
摘み上げると、向かいに位置するソファーに腰を下ろして、診察室から呼
ばれるのを待った。今日は、あのピンク色の看護婦は姿を現さない、診察
室の方も加納マルタとかいう女医の気配もない。
 十分ぐらいは、そうやっていただろうか、向かいの男が不意に、
「おいっ」と、呼んだ。
 一瞬、自分が呼ばれたものではないと思っているところを、
「おいっ、小僧」と、もう一度呼んだ。
眼を雑誌から上げると、向かいの男が私を呼んだようだった。
「私のことですか」と、声を出してみたが、喉が張り付いて妙に甲高い声
になって待合室をまぬけに響いた。
「俺を覚えているか?」と、男はまだ雑誌から眼を外さないで聞いてきた。
静かだが、地の底から響いてくるような声だった。よくよく見ると、どう
も『ひつじ牧場』の牧童頭という中川と名乗る男に似ている。私は生まれ
て、この方こんな体格の男に出会ったのは、中川が最初だったので、それ
以外に考えつかなかった。
 そこで、おそるおそる、男に尋ねてみた。
「もしかして、『ひつじ牧場』の中川さんですか?」
「おおっよ」
「小僧とは、すこし酷くありませんか」
「ひとんちの娘をさらっていくような奴は、小僧で十分だろ」

 そういうと、読んでいた雑誌をぱんと投げつけてきた。私はそれをうま
く払いのけると、
「メイのことを言っているのなら、ぼくじゃありませんよ」
と、突っぱねた。中川と眼が合った。別に怒っているようではなく、なに
か年老いた母親をたった今亡くした男のように沈んだ眼をしていた。
 そこに、白衣姿の加納マルタが現れた。加納マルタは持っていた書類の
挟まったフォルダを中川に渡すと、中川の隣に座った。
 しまった、この連中はグルだったのか。

 中川は渡された書類に、ぱらぱらと眼を通し、加納マルタに向かって小
声で、「なんだ、シロか?」と、聞くと、加納マルタはこっくり頷いた。
「どうやら、家には連れ込んではいないようだな」
と、大声で検査の結果判定を読み上げるようにして、私に言った。

「だから、ぼくは関係ありませんよ」と言うと、中川も加納マルタも、
オマエが犯人に決まっているとばかりにじっと見返すのだった。
 まったく、埒があかない。気が付くと、例のクマみたいな連中がアメリ
カ大統領のシークレット・サービスみたいに立ちはだかって、待合室の入
り口を完全に塞いでいる。

 中川は、パンと両手をはたいて合わせると、それを揉み手しながら宥め
るような物腰で、要件を切り出した。
「どうだ小僧、取引をしないか、
五月の居場所か、連絡方法を教えろ。
そのかわり、俺が女ならいくらでも世話してやる、
どんな女でも構わん、女子高生だろうが、
人妻だろうか、金髪だっていい、
一度に三人一緒でも、一個連隊だっていいぞ、
そして、気に入らなかったら何度でも取り替えてやる。
ただし、五月だけはダメだ。」
「『さつき』というのは彼女の名前ですか?
よく考えてください、ぼくは彼女の本当の名前も
今知ったような男なんですよ。
そんな男がどうして、彼女をさらったりするのですか」
「でも、おまえが男であることには変わりはない。
男なんだから、好きな女はかっぱらっていて、
自分のものにするのは当然だ。
女の名前なんか関係あるもんか」

 まあ、確かに正論ではある。しかし、そんな男だったら、とっくの昔に
結婚しているんじゃないか、と反論したかったが、なんか自分で自分の言
葉に傷ついて、立ち直れそうにない気がして、言葉を飲み込んだ。
「いいか、小僧、冷静になって考えろ、
これは取引だ、ビジネスだ、
ちゃんと、損益計算を考えなけりゃいけないんだ。
おまえみたいな小僧が五月を手に入れても、
ぜぇーたっいに、持て余すぞ、
ちょっと浮気しただけで、あいつは怒って家をでてしまうぞ、
ぜぇーたっいに、尻に敷かれて苦労するぞ、
それよりか選り取り好み、言いなりの女の方が、
ずぅーとっいいぞっ、そんなこと俺が言わなくてもわかるだろぉ」

 どうして、この『ひつじ牧場』関係者は、私の考えもしないような欲望
を次から次へと並べて見せるのだろうか、笠原メイもアメリカの別荘地で、
仕事もしないで遊んで暮らせるとか誘惑して、こんどは中川が品質保証つ
きハーレムの提供をちらつかせる。
 どちらもあまりにも私の日常から乖離しているので、私には全然実感が
湧いてこないので、ねこに小判なのが、この人たちには気がつかないのだ。

 とりあえず、ムダだと思ったが、私は反論を試みることにした。
「しかし、どうしてそうまでして
『さつき』さんを束縛しようとするのですか、
彼女だって、もう十分に大人なんですから、
彼女の好きなようにさせてあげればいいじゃないですか」
「むっ、小僧、俺はなにも意固地で
五月を探してるんじゃないんだぞ、
五月はな、多忙で子供を構ってやれない両親に代わって、
俺が育てた娘なんだ、
俺みたいなのに育てられたもんで、
お嬢様なのにあんなにガサツになっちまったが、
とにかく、俺は育ての親としての責任を全うしたいんだ。
五月の花嫁姿が見たいんだよ、おまえなんかじゃダメだ」

 中川は、そう言うと、ごっつい顔の厳ついた眼を潤ませた。少し沈黙の
間があった。
 中川は思いついたように、
「しょうがない、今日のところは帰してやる」
と、言って、ソファーから立ち上がった。そしてそのまま取り巻き連中に
合図すると、待合室から出て行った。

 私がほっと胸を撫で下ろしていると、クリニックの外から
「小僧っ、よく考えておくんだぞ」と、中川の声がした。
加納マルタは向かいの席で、なにが楽しいのか、にこにこして、まだ座っ
ていた。

 
○加納マルタ
 私は夢を見た。夢の中で、私は『地中海クリニック』にいた。診察室の
方で人の声がするので、私は釣られて入っていくと、診察室の奥には手術
室があって、そこでボソボソ話をしながらなにかの作業をしている音がす
る。
 手術室には解剖台があり、る。解剖台の上にはバラバラにされた笠原メ
イのパーツが並んでいて、傍らに立つ加納マルタと加納クレタが丁寧にそ
れらをビニール袋に詰めてラベルを貼っている。
加納マルタが私に尋ねる。
「ホクナン様はどの部位をご所望ですか?
もうすでに人気のあるところはなくなってしまいましたので、
どれでもおすきなだけお持ちになってもかまいませんよ」

 見ると、笠原メイの頭や手が漬け込まれた大きなピクルスの壜は木枠で
梱包されて荷札が貼って、いつでも発送できるように用意されている。
 解剖台の上には肋骨が二本、バラ肉が一ブロック、腸の切れ端が少々、
そして右胸の乳房が残っていた。
 加納クレタが、魚屋のおかみのように、それらをひょいひょいと手際よ
く袋詰めすると、袋の口を輪ゴムでくるりと結んだ。肋骨は紐で結わえて、
持ちやすいように、取手をつけてくれた。そしてそれを私に押し付けて、
畳み掛ける。
「もう、お仕舞いですから、
残りはみんなもっていらしてください」

 加納マルタがホースの水で、解剖台に残った血液や胆汁液みたいなもの
を綺麗に洗い流しながら、私にいう、
「なまものですから、今日中に、お召し上がりくださいね、
しいたけ、春菊と一緒に酒粕で煮込むとおいしいですよ」
私が困っていると、加納クレタがすばやく肉片のパックを私から掠め取っ
て言う。

「それじゃ、これはわたくしがいただきます」
「そうね、クレタとわたくしとでおいしくいただきますね。
ほくなん様ごちそうさま」

 そして、二人は「けけけけけっ」と、笑い声を残して消えた。
振り向くと、ルフィミアが立っていて、残念そうに呟く。
「あら、勿体無い、今年の笠原メイはおいしいのに…」

 ルフィミアはそれから目玉がたくさん入ったウメボシを漬け込む壜を取
り出して、さも、うれしそうに私に見せびらかす。
「ほら、ごらんになって、笠原メイの目玉漬けよ、
ことしはたくさん獲れたので、
こんなにいっぱいつくってしまいましたわ」

 そう言うと、ルフィミアもスキップしながら消えていった。
 結局、笠原メイの肋骨しか手元に残らなかった私は、乳房だけでも取っ
ておくんだったと後悔する。二本の肋骨を打ち合わせると、金属的な音が
して、それが笠原メイの甲高い笑い声に聞こえる。

 電話の音がしていることに気が付いて、目が醒めた。
 気分がすぐれなかった。加納マルタからの電話だった。

「もしもし、ほくなん様でいらっしゃいますか?」
「もしもし、ほくなんはわたしですが」
「お世話になっております。
地中海クリニックの加納マルタでございます」
「…」
「折り入って、ご相談いたしたいことがございます、
今日の夕方など、ご都合はいかがでしょうか?」
「中川の指図ですか」
「ほくなん様が誤解されるのは、
尤もなことではございますが、
わたくしは中川氏に雇われているわけでも、
中川氏の部下でもございません。
ほくなん様に、わたくし個人としての
ご相談いたしたいことなのです」
「じゃあ、いいですよ」
「それでは、今日の午後八時にプリンスホテルのロビーで
お待ち申し上げております」

 私はプリンスホテルのロビーで加納マルタと待ち合わせの約束をした。


※これはフィクションで、実在の人物・団体とは
 全然関係ありません。

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のりたま@もうほとんどSPAMと化しております