「全学連」と「全共闘」の違いに関する学生ボケの未来に関する展望
全学連は、トップダウンである。学生自治会の余暇みたいな分野としての政治
運動だった。
全共闘は、ボトムアップ式の組織だった。共闘すると決めた分子ができればど
んどん共闘する組織として広がっていった。自治会など不要。
自らが学生であることに対して、学生とはなんなのだという自己認識の芽が、
全共闘の哲学的アイデンティティだったと一般的には総括されている。実際
は、そうした理論武装に野次馬が面白半分に乗っかっていたと思う。騒げばよ
かっただけのお祭り騒ぎに似ている面がある。祭りは終わるものだ。
学生の発作的盆踊りに、思想家は、動きを感じて喜んだようだが、動けばよい
というような短絡の学生賛美でヨイショしても、所詮野次馬学生のボケ頭で
は、騒ぐばかりで悪乗りばかりで、社会の前進にはならなかった。むしろ、利
用して鉄壁の小選挙区制とその政治体制に摩り替わったように思う。ただしい
自己認識に徹していた真の改革者は大学から排除されて白い巨頭は、いま大笑
いしている。
全学連は、学生である身分に疑いを持たなかった。運動が終われば家に帰って
勉強した。卒業して、社会人という歯車に、いつもどおりに道でなっていっ
た。
全共闘は、学生である身分にさえ疑いをもって、これでいいのか、いかにある
べきかという自分への問いかけがあった、大学改革はそうしたものの延長。と
いうふうに総括しているが、全共闘のこのような思想的自問は、本当は、一握
りの学生にしか浸透していない。ほとんどは付和雷同。
来るべき運動の芽は、学生の身分に疑いをもつところでたちあがるのではな
く、「人間としての身分に疑いをもつ」ところで世界的に起立する方向だろ
う。太りすぎたライオンが、残飯さえ飲み込んでいく大地では、生物存在のサ
イクルが壊れている。人間という弱小哺乳類のなかに、太りすぎたライオンが
いて「人間の身分」そのものがどんどん侵食されていく現実に、日本でいえ
ば、お題目をすてて立ち上がる足を日本の人間がもつかどうか、これは、お題
目を唱える人間には残飯の一部を分け与えるというようなイカサマ仕組みに、
お題目を唱える人間が立ち上がらなければ実現しない。このままでは地は廃墟
になるだろうね。太り過ぎたライオンだけでは。
学生は、人間としての身分に疑いを持つ全世界組織に成長すべきだろう。
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
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