万人司祭主義なき我国は、もし、国家神道でいくなら、「万人神主」主義でいかねばならない。
これがあれば、各個人が靖国を個人自身の靖国神社として持つことで、国家神
道としての靖国神社など解体できたし、そうしなければならなかった。
なぜできなかったか。天皇という現人神がいたからである。
ならば、万人天皇主義で、行くしかないのだ。
万人天皇主義なるものは存在し得ない。万人現人神などありえない。一人たり
とも現人神などいないのですから。
だったら、天皇制解体しかないんですね。
そうして解体して初めて、日本は市民社会のスタートが切れる。
靖国は、個人の神との契約に移行し、国家という代理機関を通させない。
現人神の残骸天皇は廃止する。もし、日本人に神道を植えつけるなら、このよ
うな「個人と神」との契約という思想の上で、市民の万人司祭主義を確立すれ
ば始めて日本に個の思想が誕生する。もし、個人と神との契約がないなら、我
国は、個人主義を、個人と神との契約という宗教観をはさまず、自然法の理念
としての言論、思想、信条、表現の自由の絶対化という理念をベースに固定化
させて、法律なり、政治なりを構築するしかないのです。民主主義というのは
ここからスタートすべきもの。
法律にしても、そうなんです。個の原点がない状態で、いくら基本的人権と
いっても、行き着く先は日本国憲法無視の、国家神道化という自衛隊合憲判決
にしかならない。
これで近代の法学面とはお笑いですね。
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