ごらんのように、河野君らは、第三者キャンセルの法的根拠をなんら答えるこ
とができなかった。
自己検閲の偏狭な道徳が、表現の自由、言論の自由を破る法的根拠足り得ない
のは言うまでもない。言うまでもないが、道徳で、言論の自由、表現の自由を
規制し始めたら、削除の境界線はファシズム化にしたがいいくらでも国民を圧
迫してくる。道徳を法的根拠とするすり替えにだまされてはならない。

fjは、
マスコミが自主検閲で言いたいことを言わずに、スポンサーの顔色ばかり見、
NHKが予算と出世ほしさに放送内容の事前検閲を手土産に、もみ手で政府中枢
に足を運ぶなか、
国民の国家への逆統制の場として言い尽くしがたい可能性を持っている。

警察国家になり塵ひとつない都市になったとして、その恐怖の都市はいかばか
りのものだろうか。もはや表現の自由、言論の自由は凍死。このことを忘れて
はならないと思う。

misenは精神病的ですが、価値相対主義においてはいかなる精神病患者も発言
の機会があり、その言論を封殺してはならないよ。たとえヒットラーが出てき
ても国会に出てきても封殺してはならない。
fjのような広く国民が参加できる場で、忌憚なく攻撃しあう環境は不可欠。

新聞投稿ではけっしてありえない個人発言の100%公開。紙面に限界がな
くセレクトもしない。これがfjの現実的な役割となっている。

バケツリレーの記事をプロバイダーが自身のサーバーで削除するのは明らかに
表現の自由を破っている。いくら抗議が来ても削除はすべきではない。
河野君のような、テイノウな自己検閲をすることで、表現の自由、言論の自由
が凍死するという事実をプロバイダーは無視しているわけだ。いまこそ、広く
言論の自由で多用な価値相対主義を受け入れて議論を活性化するべきときに、
サービスをやめるなどというのはそのようなプロバイダは警察国家推進の工作
になんら抵抗しないという大きなマイナス宣伝であることを自覚されたし。

fjは表現の自由を最大限死守する。これでなければ、もはや意味なし。ポンコ
ツ学者の安上がりサロンの場ではない。ましてや、第三者キャンセルの法的根
拠も述べられず、また、法的責任も取れないくせに責任をとるとえらそうにふ
んぞり返る警察国家推進のペテン士吸血鬼どもの私物化の場ではない。
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Great Sugawara
私のポリシー:一切個人的にメールも物も発送しません。
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