非暴力でよい。
撃たれても撃たれても蟻の大群のように、
銃口に向かって行進しろ。
撃たれても撃たれても、

やがて銃口が踏み潰されていく。
それが国民の意志の強さなのだ。
銃口で逃げてどうする。
命を賭けて大群として行進する。
これこそが非暴力の大群の強さなのだ。
角材もヘルメットも石も要らない。そんなものでは民主政治は獲得できない。

自由のために、民主政治のために、
命を賭けた、死を恐れない行進の大軍が
首相官邸に迫り、銃口を踏みしだいていく。

軍はいかなる兵器をもってしても
もう統治はできない。
これが、軍を民衆にかしずかせる唯一の道なのだ。

逆に、わが日本国民にそれだけの覚悟と意志があるのかを問わねばならない。
この意志があれば、軍事クーデターは起こらない。起こしてもひっくりかえ
る。
もし、その覚悟がなければ、かならず、軍事クーデター政権ができる。
クーデターでなくてもだまされてファシズム政権ができる。

社民党や日本共産党は、行進の覚悟のないただの人形である。

山之彼方さんの<SYoLi.1053$Qr.155@newsread1.mlpsca01.us.to.verio.net>から
>山之彼方さんの<iUoLi.1052$Qr.323@newsread1.mlpsca01.us.to.verio.net>から
>>ミャンマーの国民も僧侶もなぜ、銃口を恐れるのか。
>>ここがミャンマーのなさけないところだ。
>>
>>10万の国民でよい。
>>5万の国民でよい。命を賭けて大挙して軍事政権の府へ向かえ。
>>銃口で倒れても逃げるな。
>>そうすれば、5万の民衆が、このインチキな軍事政権を倒せる。逃げるから倒
>>せないのだ。
>>
>>僧侶も逃げるな、銃を持つ軍人など踏み潰して行進しろ、そうすれば勝つ。
>>フィリピンのときは、国民に軍は銃を向けなかった。
>>もし向けていたら、逃げたかも?さあ、どうかな、あのありの大群のような国
>>民の行進を制圧できる自信が軍にもなかったから勝ち馬に乗ったのだ。
>>
>>ミャンマー国民は、立ち上がって銃口を恐れることなく、決死の覚悟で行進す
>>べきであった。
>
>戒厳令などものともするな。
>国民は大挙して行進し、銃口も戦車も恐れず官邸に向かえばよい。
>これが、軍事政権打倒の唯一の解党である。
>銃口を恐れる限り、勝ち目はない。何十年にも渡って苦しめられることにな
>る。数万の群集が、撃たれても撃たれても行進するなかで、もう、いかなる軍
>も逃げ出さずにはおれない。
>
>社民党や日本共産党は、そんなとき、穴の中にこもってテレビを見ているだけ
>だ。こんな野党は、ビオトープで生きてるただのペテン師である。