国家とはそういうものなのだ。
国家利益と個人の利益は異なる。
それゆえに国家を信用したらえらい目にあうことも多々ある。
個人の基本的人権という概念は国家不信から、国家に対抗するために考え出さ
れた概念だから、対立して当たり前。

では、国家とどこで折り合いをつけるか。
「個人の基本的人権を侵害しない限りにおいて、国家との契約が有効であり国
家が個人の基本的人権を侵害したらそんな国家に従う理由はない。よって革命
をもってそんな国家を打ち倒してよい。」これが啓蒙思想だね。
基本的人権をいうなら、そこまで言い切らなければただのこけおどしだ。

君たちは、基本的人権を侵害する国家なるものと、妥協する気なのか。だった
らはじめから基本的人権などと大上段に構えるな。構えたからには、基本的人
権の本質である国家との対立の解消は国家を倒してよいというそこまで主張し
なければ基本的人権の主張にはならない。
「だんなさま、盆暮れにはお国に帰省しとうございます。」
「ならぬ。」
「では、ばっさりと。ブスッ」
これが基本的人権派の本来の姿である。妥協するのは基本的人権派ではない。

「だんなさま、盆暮れにはお国に帰省しとうございます。」
「ならぬ。」
「では、そのように従います。シクシク」
この基本的人権派なのか。