すっかり遅くなりまして誠に申し訳ございません。

> 工繊大の塚本です.
> KyokoYoshida <kyokoyoshida...@gmail.com> 様より
:
> # 基本的に e-mail に直接お答えすることはありません.

これは失礼いたしました。

>> 数学的対象の集まりclassの定義は単に
>> 数学的に思考可能な"集まり"なのですね?
>> そのclassがZFC公理系を満たしている時にそのclassは集
>> 合であるというのですね。
> はい. 正確に言えば, その class の要素が集合です.

ありがとうございます。

>> 今まで,公理とは恒真な命題の事とばかり思っていましたが。。
> 違います. その数学的体系においては「真である」ことが
> 仮定される命題です.

ありがとうございます。今まで公理や恒真命題を勘違いしておりました。
恒真命題も「真である」事が仮定される命題の事だったのですね。

>> 例えば「金閣寺は今日は混んでいるか混んでいないかのどちらかだ」は
> 恒真な命題なので公理と呼べると思います。 勘違いしてますでしょうか?
> 先ず, それが恒真な命題である, と通常考えるのは,
> 通常の命題論理の公理として「排中律」があるからです.

ふーむ。排中律が真だと仮定した時にだけ金閣寺の命題は恒真命題だと断言できるのですね。

> # 私は「金閣寺」の「混雑」について「数学的に言明」
> # するのは「数学の誤用」だろうと思いますが.

そうでしたか。失礼致しました。

> 「排中律」が成立しない論理学だってあります.

直観主義という分野ですね。

> ということで, 色々な意味で勘違いされていると思います.

誠に申し訳ありません。

>> 或る集合Gと2項演算子・については群の公理を満たすので(G,・)は真,
>> 別の2項演算子*については群の公理を満たさないので偽となる。。
>> と言えると思います。
> 言葉が足りません. 『「 (G, ・) は群である」は真』とか,
> 『「 (G, ・) は群である」は偽』とか, なら分かります.

なるほど。これは論理的な言い方ですね。

>> 従って群の公理は述語(命題関数)と言えると思います。
> だから, それは「群の公理」の話ではなく, ある具体的な
> 数学的対象が群であるかないかの話です.
> そういう使い方をする場合には「群の公理」のことを
> 「群の定義」だと言っても良い.

了解です。

>> これは恒真命題では有りませんので (2項演算子の定義の仕方によって真にも偽にもなる)
>> 群の公理は公理ではなく群の定義(若しくは群の述語)と呼び分け るべきだと思
>> うのですが…。
> 一方で, 「 G が群であれば, C = { g ∈ G | ∀h ∈ G, gh = hg } は
> G の部分群( G の部分集合で, G の演算の制限により群となるもの)
> である」というのは「群の公理」だけから導き出される定理です.
> こういう「群論」での議論を行う上では「群の公理」という言い方が
> 適当でしょう.

ふーむ。この場合は数学的対象が"群"なのですね。

> ま, 「群の公理」というのも「群の定義」というのも,
> 結局は同じです.

そうでしたね。

>>> ZFC の公理と群の公理での「公理」の意味が違うように 思うのは,
>>> 後者ではその公理を満たす群は色々なものが あるのに対し,
>>> 前者では集合というものを一意に定めて いるかのように錯覚するからでしょう.
>> その通りです。
> 多分, お分かりではないだろうと思います.

そうですか。。

群については
2×2実行列全体の集合をAとしでの代数系を行列の足し算+とすると「(A,+)が群である」は真になったり,
{a+b√2;a,b∈R}も代数系を実数同士の掛算・とすると「({a+b√2;a,b∈R},・)は群である」も真になるように

群の例を複数個すぐに挙げれますが,
集合(ZFCを満たすmetacategory)の例を複数個挙げる事は簡単な事ではありませんよね?

>> ZFCの公理系は恒真命題とばかり思っていましたが
>> よくよく考えてみると或るclassはZFC公理系を満たすが
>> 別のclassはZFC公理系を満たさないという場合(例:全ての集まり)が あ
>> るでしょうからZFC公理系は恒真命題ではなく述語になっているのですね。
>>  そういう意味ではZFC公理系は集合の定義と呼ぶべきですよね。
> だから「公理系」というのは常に「何か」の定義です.

そうでした。

>> 厳密に公理というとA=A など直感的に正しい
> としか言いようが無いものが "公理"の定義ですよね?
> 違います. そういう意味では, 「等号 = 」について
> 「 A = A 」が真であるというのは, それが
> 「同値関係(等号)の公理」の一部であるから,
> という言い方をするのが数学の論理です.

なるほど。これは大変勉強になります。
「等しい」とは何ぞやA=Aとはどういう意味かと問われると確かに説明できかねます。


>>> 「集合の全体(V)」が「構成可能な集合の全体(L)」と 一致するかどうか,
>> うーん、構成可能とはZFC公理系を満たすという意味でしょうか?
> 違います. このあたりは「数学基礎論」でも調べて下さい.

"構成可能な" → 何らかの公理系が定められる
という意味でしょうか。

ちょっと調べてみたいと思います。

>> こればVがclassでZFC公理系を満たす時,
>> VはLとなっていているという解釈でいいのでしょうか?
> そうなるという保証はない, という話です.

やはり, LにZFC公理系を矛盾無く定義できるかという意味ですね。

>>> 連続体仮説が成り立つかどうか, などは, 考える「集合の全体」によって違うわけです.
>> つまり様々なclassesがあり, 或るclassでは連続体仮説が成り立つが
>> 別のclassでは連続体仮説が成り立たないという訳ですね。
>> 因みにどんなclassだと連続体仮説が成り立ち, どんな
>> classだと連続体仮説が成り立たないのでしょうか?
> 例えば, 上で挙げた L において連続体仮説が成り立つ
> ことがゲーデルによって示されていますし,
> 連続体仮説が成立しないモデルはコーヘンによって構成されています.
> 詳しくはそれぞれお調べ下さい.

凄いっです。ちょっとかなり難しいそうです。

>> categoryになるとはC=(O,A)がmetacategoryで
>>  OとAがZFC公理系を満たす事をいうのですね。
> 違います. ZFC 公理系を満たす「集合の全体」が先ずあって,
> O と A とがその要素(つまり集合)であることが分かっている,
> とするわけです.

ん?

例えば,

集合Aがfに関して半群をなす
⇔(def)
∀a,b,c∈Aに対してf(f(a,b),c)=f(a,f(b,c))を満たす。…結合法則

集合Aがfに関してmonoidをなす
⇔(def)
(i) Aはfに関して半群をなす
(ii) ∀a∈Aに対して f(a,e)=f(e,a)=aなるAの元eが存在する。…単位元の存在

集合Aがfに関して群をなす
⇔(def)
(i) Aはfに関してmonoidをなす
(ii) ∀a∈Aに対して f(a,b)=f(b,a)=aなるAの元bが存在する。…逆元の存在

集合Aがfに関してabel群をなす
⇔(def)
(i) Aはfに関して群をなす
(ii) ∀a,b∈Aに対して f(a,b)=f(b,a)が成り立つ。…交換法則

以下同様,,,

という具合に定義(公理)を拡張していきますよね。

これに倣って

C=(O,A)がmetagraphをなす
⇔(def)
(i) Cはclassである。
(ii) 任意のAの要素fに対しdom(f)=a,cod(f)=b (但し,aとbはOの要素)なる演算dom,codが存在する。
この時,Oの要素を対象,Aの要素を射と呼ぶ事にする。

C=(O,A)がmetacategoryをなす
⇔(def)
(i) Cはmetagraphをなす。
(ii) 恒等射の存在
(iii) 合成射の存在
(iv) 結合法則
(v) 単位元法則

C=(O,A)がcategoryをなす
⇔(def)
(i) Cはmetacategoryをなす
(ii) CはZFC公理系を満たす

という具合に考えてしまってました。

>>> 「真偽」という言葉を使うのには二つの場合があります.
>>> ある命題が数学的体系を定めている公理から導けるか
>>> どうか, という意味での「真偽」を考える場合と, あるものの集
>>> ま りが, 議論している数学的体系に なっているかどうか, における, 公理の「真偽」を 考える場合です.
>> えーとこれは前者は命題の3段論法についての真偽で
>> 後者は述語(若しくは命題関数)と呼ばれるものですね。
>> 述語は自由変数,命題は束縛変数を使って記述されるものですね。
> ちゃんと話が通じているか, 疑問ですが,

"PならばQでQならばR"なら"PならばR"
といった3段論法の対する「真偽」
と
"(G,*)は群をなす"に対する「真偽」
という二通りの「真偽」があると思ったのですが。。

>>> どちらの話でしょうか.
>> どちらでもないようです。物事は真としか考えようのない
>> 何らかの大前提(これを公理と呼ぶ(?))を打ち立ててから
>> 定義や真理関数が議論できるのもだと理解しております。
> それは間違っています.

そうでしたね。公理とは単なる定義の事でしたね。

>> 「(i) 2項演算について閉じている
>>  (ii) 結合法則が成り立つ (iii) 単位元がある
>>  (iv) 逆元がある」 は群の定義と呼んでおりました。
> 何度も言いますが, 「定義」も「公理」も同じことです.

そうでした。

>> 公理の例としては「命題Pは真か偽かのどちらかである」
>> などが 挙げられるかと思います。
> その「真」「偽」とは何か, という話もありますが,
> それはさて措き, 「公理」というものを誤解されている
> ことは間違いありません.

これもそうでした。上記例は排中律が認められた世界で通用する議論でした。

排中律さえ認められてない世界では「命題Pは真か偽かのどちらかである」が真であるとか判断しようがありませんね。

>> 上にお挙げ頂いた前者は2真理関数(有限個の
>> 述語)", 後者は"定義"と呼んでおりました。
> 本質が理解されていれば, どんな名称でも結構ですが.

了解いたしました。

>>> 例えば, 「図」というのを class O と class A の組で, A の要素 f について,
>>> dom(f) という O の要素の集まりと, cod(f) という O の要素の集まりが
>>> 定まるものとしましょう. dom(f) が定まることと cod(f) が定まること
>>> 以外には 何の公理も仮定しません.
>> "Oの要素の集まり"ではなく"Oの要素"ではないのですか?
> 今は, 複数の要素から, 蛸足のように線が出て, 又,
> 蛸足のように複数の要素に線が届くようなものを「図」
> とするわけです.

これが「図」のだったのですね。

>>> (O, A) が「図」になる class O, class A の取り方によっては,
>>> dom(f) は唯一つの要素かも知れませんし, そうでないかも知れませんし,
>>> cod(f) は唯一つの要素かも知れませんし, そうでないかも知れません.
>>> (O, A) が metagraph であるかも知れませんし, ないかも知れません.
>> そうですね。

この場合の(O, A)はただのclassの組というだけですね。

>>> 「図」 (O, A) について言えば, dom(f) が O の唯一つの 要素からなり,
>>> cod(f) が O の唯一つの要素からなるときが (O, A) が metagraph になるときです.
>> Aの任意のarrow fに対して dom f  と cod f とがOの要素となる時, (O,A)はmetagraph
>> であるというのですね。 ここで疑問なのですが "class O と class A とが Aの任意の要素fに
>> 対して dom f と cod f とがOの唯一つの要素となるように domとcodを定義すると(O,A)は
>> metagraphである" と定義してもいいのでしょうか?
> そう言っているではありませんか.

そうでしたね。これは失礼致しました。

>>> 例えば, O が2つの要素 a, b からなり, A が1つの要素 f からなり, dom(f) =
>>> a, cod(f) = b とすれば, ({a, b}, {f}) は metagraph ですが, metacategory
>>> ではありません.
>> {f}には単位射が存在しない事になりますからmetacategoryとはならないのですね。
>>
> はい.

有難うございます。

>> この事からmetacategoryになるにはdomとcodの定め方に
>> 左右されると 考えてもいいのでしょうか?
> それはそうですが, metacategory になるかどうかは,
> どのような arrow が存在するか, にも,
> その arrow の合成が何になるか, にも, 関係して定まります.

これもさようでございます。

>> いや,∀f∈Aが採れない場合はdom(f)とcod(f)がOの要素なる事は真ですよね
>> (∀f∈A自体が既に偽なので)。
> そうです.

この場合は空metagraphと呼んだりするのですね。

>> 従って,一応この場合でも(O,A)はmetagraphにはなり得ますね。
> はい.

了解です。

>> でも∀a∈Oに対してf∈A;dom(f)=cod(f)=aは採りようがないので(∵Aは空集合),
>> (O,A)はmetacategoryではない。。 という認識で大丈夫でしょうか?
> metacategory では各 object a に対して, 1_a が存在する
> 必要があります.

これもそうですね。

>>> 公理系を満たすものがある, と仮定するところからでしょうね.
>> ええ? ここでの公理系は任意の公理系なのでしょうか?
>> それともZFC公理系の事なのでしょうか?
> それは貴方が今どんな数学的体系を相手にしているかで
> それぞれ違います.

そうですね。今考えている公理系の上での数学的体系によって違うのですね。

> 「集合論」について語るのであれば, ZFC 公理系を満たす
> 数学的対象が存在する, というところから出発するでしょうし,
> 「群論」について語るのであれば, 「群の公理」を満たす
> 集合が存在する, というところから出発するでしょう.
> (「集合」が出てきましたから, 「群論」では, 通常
> ZFC 公理系を満たす「集合の全体」の存在も仮定されています.)

これはそうですね。群は集合についての概念ですからね。

> 「 metacategory 論」について語るのであれば, metacategory
> の公理を満たす数学的対象が, 何かある, というところから
> 出発します. それだけです. 「 category 論」について語る
> 場合には, 「集合」が出てきますから, 通常 ZFC 公理系を
> 満たす「集合の全体」の存在も仮定されていることになります.

納得です。有難うございます。

>> よくよく考えるとobjectもarrowも定義されているではないですか。
> 勿論, 「一つの (meta)category 」が与えられている,
> ということは, その (meta)category において,
> 何が object であり, 何が arrow であるか, が定まっている,
> ということです.

仰るとおりです。

>> aとfはそれぞれobjectとarrowである。 (⇔def) (i) aとfにはaとfを
>> それぞれ含むclasses OとAとが存在する。 (ii) dom(f)とcod(f)は
>> Oの要素となるような dom,codという(対応っぽいもの)が存在する。
>> と述べれませんか?
> O と A が「決まっている」のでなければ, 話になりません.

そうですよね。
群では先ず考察する集合が無いと始まりませんね。

>> すいません。よく読み返してみると意味不明でした。
>> class O と class A とがcategoryの公理(categoryの定義)を
>> 満たしているなら, categoryの定義からOとAは集合でなければ
>> ならないので 勿論,ZFC公理系を満たしていますね。
> 「 ZRC 公理系を満たす」という言葉遣いがおかしいのです.
> ZFC 公理系を満たす, ある「集合の全体」というものの存在が,
> 先ず, 仮定されていて, O と A とはその要素(つまり「集合」)である,
> というわけです.

これもそうでした。先ず集合が無いと始まりませんね。

>> 定義は公理は同じものなのでしょうか?
> 同じです.

そうです。しっかり覚えておきます。

>> 公理は(直感的に明らかに)恒真な命題の事 (例:「今日は金閣寺は
>> 混んでいるか混んでいないかのどちらだ」) だとばかり思ってましたが。
> それは違います.

これも排中律が認めるか認めないかで状況が変わってきますね。

> ある数学的体系において何を「真」であるとするか,
> を定めるのが「公理」です. 逆に言えば, その公理が
> 真であるのがその数学的体系です. その意味で,
> その数学的体系を定義するものです.

了解です。有難うございます。

>> 群論のみしか取り扱わないのなら
>> 群の公理と呼んでも差し支えないでしょうが,
>> でも群の定義と呼んでも差し支えないのなら わざわざ"公理"
>> という言葉はを使わずに"定義"という言葉で 済ませたものです。
> 先にも述べたように, 「公理」というか「定義」というか,
> は局面に依ります.

ふーむ。

>> ZFC公理系での外延性の公理は"外延性の定義"とは言いいませんよね。
> 「外延性の公理」は「集合」の定義の一部ですからね.

そうですね。

>> 「A=BならばB=A」なども公理と言えると思います。
> 「対称律」は「同値関係の公理」の一部です.

これも納得です。

>> 公理系とは様々な分野で個々の公理系があるのですよね。
> はい.

なるほど。これはとても参考なります。

>> 代数の世界はZFC公理系から理論が展開され,
> だから, 「群の公理」もあれば, 「環の公理」もあれば,
> 「体の公理」もあれば, 「加群の公理」もあれば, ...

そうですね。

>> 幾何学ではEuclidの公理系から理論が展開されるのですよね。
> 今は「 Euclid の公理系」は使われませんが.

ZFC公理系から理論が展開される数学的体系と
Euclid公理系から理論が展開される数学的体系,
はたまた,他の公理系から理論が展開される数学的体系など色々な数学的体系があるのですね。

>> 解析学ではどのような公理系が使われるのでしょうか?
> 「実数の公理」というのはお聞きになったことがありませんか.

はい,聞いた事があります。
「実数の定義」と呼んでおりました(本質的にはどちらの呼び方でもいいのでしょうが)。


>> よって,現代の数学では少なくとも ZFC公理系とEuclidの
>> 公理系と解析学の公理系が必要なのですよね。
> それぞれの分野で, それぞれの数学的対象について,
> それぞれ「公理」を置いて考えます. 勿論, 単に,
> 「定義」とする場合も多いわけですが, 結局は
> 同じことです.

ありがとうございます。漸く見通しが明るくなりました。

>> そして,ZFC公理系からEuclid公理系は導けないし,
>> にEuclid公理系からZFC公理系も導けないのですよね。
> 考えている数学的体系が違いますからね.

そうでしょうね。

> 一方が他方を土台にしていることはあります.

これはどういう意味でしょうか。

Euclidの公理系とZFC公理系は全く何の繋がりも持たないように思えますが。

>> ふーむ。同値性の公理は明らかの真なので恒真命題と言えないのでしょうか?
> ある数学的対象について定義された二項関係「 = 」が
> 同値関係の公理を満足するかどうか, は,
> その二項関係に依ります. 勿論,
> 同値関係の公理を満足しない場合には
> 普通「 = 」という記号を使うことはないでしょうから,
> 「 = 」という記号が使ってある場合に, 「 a = a 」とか,
> 「 a = b ならば b = a 」とかが成立するのは
> 「明らかの真」と見えるでしょうが, 話は逆で,
> 「真」である場合に「 = 」が使ってあるので, つまり,
> 「同値関係の公理」が「恒真命題」である場合に使ってあるので,
> 「明らかの真なので恒真命題」というのは誤った解釈です.

これも納得です。

>>> しかし, 数学的体系における「公理」の理解も 怪しいようですね.
:
>> 前提をもとにした取り決め事ということでしょうか。
> ちゃんと理解しているのであれば, ここまでの部分も見直してから
> 投稿されるべきです.

これは大変失礼致しました。

>> 「お話し・数学基礎論「八杉満利子」」で恒真命題の事を公理と呼ぶと
>> 紹介されていたので公理と言ったら恒真命題の事だとばかり思い込んで
>> おりました。 公理が恒真命題であるという認識は公理主義
>> 数学時代以前の事なのですね。
> それは「その体系において恒真命題とすべきことを公理と定める」
> という話を誤解されているのではないですか.

なるほど。。。そういうことだったのですね。
ようやくこの本の趣旨が分かりました。

>>>> 「∀a∈Ob(C)に対し,domf=codf=aなる射fが存在する」
>>> id(a) の存在の話なら, それだけでは不十分です.
>> ん? 何が足りませんか?
> dom(g) = a となる任意の arrow g について, g○id(a) = g,
> cod(h) = a となる任意の arrow h について, id(a)○h = h.

そうでした。読み損ねておりました。

>> 「f ∈ A が dom(f) = a であれば, f○id(a) = f であり, g ∈ A が cod(g) =
>> a であれば, id(a)○g = g であるものです」 はid(a)の定義の一部なのでしょうか?
> そうです.

納得です。

>> id(a)の定義"dom(id(a)) = a, cod(id(a)) = a" と
>> 合成射○の定義から導かれる命題かとも思うのですが。。
> だから, dom(f) = a, cod(f) = a となる arrow f は
> id(a) 以外にも色々とある場合が普通です.
> id(a) がその中で特別なものであることを,
> この条件で指定しておかなければなりません.

つまり,"∈"という集合論の記号で書き表せば
∃!f∈A;∀a∈O対して,f(a)=a
であり,この時のfをid(a)と書き表すのですね。

>> > > (C,A)をAを射とするmetagraphとすると, 「(i) CはZFC公理系を持つ。
>> > その言葉遣いがおかしい.
>> 「(i) CにZFC公理系を仮定する。」と申せばよかったでしょうか?
> C は「集合である」です. 集合とは何か, は
> ZFC 公理系を満たす「集合の全体」が一つ定まっている,
> として, その「集合の全体」の要素です.

これは勘違いしておりました。
metacategoryなら考えている対象は集合とは限らないのでZFC公理系云々は無関係ですね。
categoryなら(集合の世界での話しになりますので)ZFC公理系を満たしておかねばなりませんが。

>>>> (ii) ∀a∈Ob(C)に対し,Ob(A)∋∃f such that domf=codf=a.
>>> これも駄目.
>> 「(ii) Cの任意の要素aに対し,domf=codf=aなるAの要素fが唯一つ定まる」で 宜しいでしょうか?
> 上で述べたように, id(a) は dom(f) = cod(f) = a である
> A の要素の中で「特別」のものです.

∃!f∈A;∀a∈O対して,f(a)=aと書かねばなりませんでしたね。

>> 「metacategory(C,A)に於いては∀a∈Cに対して, domf=codf=bなる射fが存在し,
>> 更に 射f,gがdom(f)=a, cod(f)=dom(g)=b, cod(g)=cの時, id(b)○f=f,
>> g○id(b)=g を
>> 満たす。」 で宜しいでしょうか?
> a と b が入れ替わっています. 「∀b ∈ C に対して,」
> とするのが一番少なくてすむ訂正ですね.

そうでした。ありがとうございます。

> こちらもすべては指摘し切れませんから,
> 後は自己修正して下さい.

了解いたしました。修正してみます。


吉田京子