Re: 《要らないのは、外国に対してモノが言えない、言い方を知らない、国内志向型政治家》
《隣国と歴史観を同じにはできない。》
国家が仁義なき繁栄競争を繰り広げるとき、国の英雄は隣国から見ると侵略者だ。
モンゴル国民にとってジンギスカンは繁栄競争に勝ち、国家国民を隷従の危機から救い富ませたのだから英雄だ。
ただし、繁栄競争に敗れた隣国から見るとジンギスカンは、都市ごと殲滅した極悪非道の侵略者でしかない。
したがって、隣国の歴史観は180度違う。
モンゴルの国史にはジンギスカンは英雄と書かれ、周辺国では侵略者と書かれる。
隣国の歴史観を同じにはできない。
《相互に英雄を認め合うことが平和共存の理念》
それぞれ国には繁栄努力した英雄がいる。
『相互に隣国が英雄を英雄として遇することを認め合う』ことが平和共存の理念である。
たとえば日本で例を挙げると、
日本を富ませ外国からの隷従を防いだ伊藤博文を日本が英雄として遇することを韓国は認めるし、
韓国の名誉回復に貢献したアン○○を韓国が英雄として遇するとを日本は認めると言うことだ。
日本の国史には、伊藤博文は英雄と書かれアン○○はテロリストと書かれる。
韓国の国史には伊藤博文は侵略者と書かれ、アン○○は英雄と書かれる。
このように隣国相互が『自国の繁栄に努力した英雄を英雄として扱うこと』を認めあうと言うことである。
『相互に隣国が英雄を英雄として遇することを認めあう』と言うことはお互いの繁栄努力を認める言うことだ。
お互いに自国と同じ権利を持った国と認めることである。
同格の国と認めることである。
そうしてこそ隣国同士平和の中で共存共栄できるのである。
これこそまさに地域平和や世界平和の基礎となる『平和共存の理念』である。
このような平和共存理念を持つことは近代国家として常識だ。
《近代国家の隣国関係は平和共存の理念を持つことで正しく発展する。》
自国の英雄を隣国に『おれの国を繁栄させた英雄なんだから、侵略者として扱うな。英雄として扱え。』
とか、隣国の英雄を『おれの国を侵略したのだから英雄として扱うな。侵略者として扱え。』
と要求しても自国の歴史観を隣国に強要することに他ならない。
『自国の繁栄努力は認めよ、お前の繁栄努力は認めない』ということでしかない。
『おれだけ富ませろ、お前は富むな』と言っていることと同じだ。
これでは紛争の元になり、平和共存は脅かされる。
近代国家の隣国関係とはいえない。
近代国家の隣国関係は『お互いの英雄を認め合う平和共存の理念』を持つことで正しく発展するのである。
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
GnuPG Key ID = ECC8A735
GnuPG Key fingerprint = 9BE6 B9E9 55A5 A499 CD51 946E 9BDC 7870 ECC8 A735