ロング・グットバイ(3)

○ストライク・バック

私の心はひどく傷き、体は疲労困憊していた。それでも、例の
喫茶店で仕事を片付けていた。日常生活のリズムを取り戻すこ
とは、混乱した自分自身を取り戻すための近道だと思っていた
からだ。もちろん、そんなことは欺瞞にすぎない。
ウェイトレスの特徴的な衣装は表面的で、記号的ですらある。
それは圧迫感がなく、それは私の心を和らげた。
冷め切ったダージリン・ティーに手を伸ばしたところで、誰か
が私の席の前に立った。見上げると知らない上品そうな女性が、
私が彼女に気付くのを待って、私を見詰ていた。

私は何か用があるのだろうと、「なにか御用ですか」と声を掛
けてみた。彼女はちょっと、ためらいがちに、目線をそらすと、
「座ってもいいですか」
と尋ねた。
彼女は、『笠原メイ』とは対照的に、内向的な印象を受けた。
カーテンのような長いスカートに、白いブラウスの上に、ダー
クブルーの薄いカーディガンを羽織っている。髪は肩まで垂ら
していて、銀縁のめがねをつけ、俯きかげんなので、表情がよ
くわからない。

「あの、ほくなんさんですね
 私は例の『笠原メイ』の親友で
 ルフィミアと申します
 今日はお願いがあってきました」

彼女の声は細々としていたが、歌うように話すのだった。
しかし、私は『笠原メイ』と聞いた途端に、恣意的な頭痛に襲
われて、意識が体から抜け出して、この有様を天井から見てい
るような錯覚に陥った。

「悪いのですが、いま怪我をしていて不自由な状態にあるので、
 内容によってはご期待に沿いかねる場合がありますが、
 どのようなことなのですか、
 えー、ルフィミアさん?」
と、私は彼女の表情を覗き込むように見つめると、ルフィミア
は私の瞳を覗き返すみたいに眼を合わせて、
「まあ、お怪我なさっているのですか、
 どうなさったのですか?」
と、驚いた。

「ええ、ちっとした行き違いがあって、
 クマみたいな大男に殴られて、
 ガラにもなく取っ組み合いのけんかをしてしまったのです。
 おかげで、唇は切れてしみるわ、
 足といい、手といい打ち身と捻挫でガタガタ、
 アタマは脳震盪したみたいにガンガン痛むのです
 踏んだり蹴ったりとはこのことです」
ルフィミアはレースのハンカチで口元を覆うと、私を見つめて
「かわいそう…」と、呟いた。いや「いたそう…」と言ったの
かもしれない。
とにかく、彼女にそんな風に言われたとたん、私は思わずぼろ
ぼろと涙を流して泣いてしまった。それまで、だれもそんな優
しい言葉を掛けてくれなかったからか、だれもどうしてそんな
ことになったか、と親身になって聞いてくれなかったからか分
からない、涙が溢れてきて止まらなかった。

「メイと私は幼馴染で
 学校もずっと同級生だったのです
 いつも一緒にあそんでいて
 二人で旅行もよくしました」
と、ルフィミアは勝手に喋りだした。
「ついこないだはエジプトに行ってきました
 とっても刺激的でしたけど
 くたくたにつかれて
 もうコリゴリって言ってたくせに
 メイったら、次の日にはインド旅行を計画するんですよ」
「ふむ」
「私はメイの後について行くのはたのしいし
 メイは文句も言わずに自分について来る私が
 自分の好き勝手ができるので
 私たちはうまく友達ができていたのです」

メイの話題を話すルフィミアはたのしそうだった。こんなにす
てきな笑窪ができるのかと、おもわず顔を覗き込んでしまうく
らいに朗らかに微笑むのだった。
私は適当に相槌を打って、話に聞き入る振りをして実際には、
頬から首筋に流れ、透き通るような白い肌の感触を想像して、
うわの空だった。

「それが突然に、メイの縁談話でおかしくなったのです
 この縁談話がとってもヘンなのです」
彼女はプラダのポーチを持ち替えると椅子に深く座りなおした。
「はじめは普通のお見合いでもするのだろうと
 メイも私もタカを括っていたのです
 でも、メイもメイのご両親ですら知らないうちに、
 どんどん話が進められていって
 話があって一ヶ月とたたないうちに
 挙式になってしまったのです
 それで、メイは文句を言ったのですが
 メイのご両親は仕方が無いといって
 全然取り合ってくれないのです
 もう、おとぎ話みたいに
 『竜神様の人身御供』なのです」
そこまで一気に話すと、ルフィミアは眼を伏せた。
「メイは一計を案じ、逃亡を試みたのですか
 あえなく捕まって連れ戻されてしまいました
 メイから連絡をうけても
 私どうしたらよいかわからなくて…
 いま、ほくなんさん以外に
 お願いできる方がいないのです
 どうかメイを救い出してください
 お願いします」
ルフィミアは、そう言うとペコリと頭を下げた。
私も釣られて「いえいえ」と、ペコリと頭を下げた。
メガネのレンズ越しに見えるルフィミアのひとみには涙が浮か
んでいた。

○メイの所在

ルフィミアは俯きかげんで、時々メガネのブリッジを指で押さ
えてはメガネを直して、訥々と話すのだった。私はぼんやりと
話を聴きながら、こんな映画の話みたいな事件に巻き込まれて
しまったのだろう、なにか悪いものを食べただろうか、夢だっ
たということに落ち着かないだろうか、と思った。

「ルフィミアさん、
 それであなたはメイがいる場所をご存知なのですか」
「る〜ちゃんって呼んで下さい」
「じゃぁ、るうちゃん
 メイと連絡を取る手段はあるのですか」
「るうちゃんじゃなくて、る〜ちゃん」
ルフィミアは、あくまでも小さな子供に言い聞かせるように、
優しく直すのだった。それはなにか恋人同士がじゃれあってい
るような感じで私はこそばゆく思った。

「る〜ちゃん? 
 メイと連絡をとれるのですか」
彼女はポーチから赤い革表紙の手帳を取り出すと、覗き込んだ。

「はい、
 メイはフリーメールのアドレスを持っていて、
 私たちはそれを使って連絡を取り合っています
 メイはひつじ牧場の自室に閉じ込められているようです
 そこは一応インターネットが使えるようなのです
 それ以外の方法は全て押さえられてしまっているようです
 じつは、私も監視されています
 ですから、本名はお教えできません
 この格好も変装です
 でも、私はメイ程には厳重に監視されていませんから
 ほくなんさんは私にケイタイで連絡を取ることができます」
そう言うと、ルフィミアはポーチから携帯電話を取り出すと、
カチカチ操作して電話番号をだして私に見せた。
どこまで本当なのか分からない。ルフィミアの細く流れるよう
な長い髪はウィッグには見えないし、めがねだってちゃんと度
が入っている。

※これはフィクションで、実在の人物・団体とは
 全然関係ありません。

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のりたま@おとなしいとおもったら、
     こんなものをつくっていたか