小森氏の気持ちは実際に戦線に居た人の感情として解る気持ちがします。
 交通事故にあった人でないと事故の怖さ、恐怖感は共有出来ないと感じるのと同じかも知れません。
 その場では冷静に対応したつもりでも、約10年間公道でハンドルを握る事は皆無に等しい状態でした。常に対向車が車線を越えて来ると思い対向車が来ると止まる状態でした。
 ある日、その状態が一生続けば生活が出来ない、相手も命が惜しい筈と思い一人で国道を走りました。後に少しずつ走行距離を伸ばし数年後には何も恐怖を感じる事は無くなりました。
 憲法の改正も、ある意味同じかも知れない側面を感じる事は確かです。即ち怖さを感じなくなった時には同じ事を繰り返す危惧は確かに存在します。 しかし、憲法と法律の間に矛盾が生じている事や現在の技術の進歩や国際情勢は一国で武力侵攻に耐える事が困難な事も事実です。
 ある国が侵攻して来た時に座してなすがままにして置くか、あらゆる手段を講じて抵抗し、撃退するかの何れかを選択しなければならない時には多分私は座して待つ事はしないでしょう。自分の子供にも孫を身を挺して護るのが人の親だと言うでしょう。
 英国には不文律なるものがあり、内容は変遷していると聞き及んでいます。正に文章化されていないので、何処がとの指摘も出来ませんが、我々が言う倫理観の様なものかも知れません。 倫理観は世代、時代で少しずつ変わってきています。しかし多分重要な部分は共有していると思います。確かに親の顔を見たくなる者もいますが、その者もある日見違える程しっかりとした者に育っています。
 憲法、法律に書いてあるから戦争をしないのでは無く、戦争すれば自らもどうなるかを感じているから防備するのであって、憲法が如何に変更されても、多分状況は変わらないと思います。如何に最強の軍事力を持っても、武力だけで制圧する事が困難な事はベトナム、今のイラクが物語っています。 次の世代の人も馬鹿な事は考えないと思います。
 運用が容易な様に憲法を改正しても実態は変わらないのは確かではないでしょうか?