みんなのケンちゃん <whiteboard21@carrot.ocn.ne.jp> wrote in message news:<bup87e$p0t$1@news-est.ocn.ad.jp>...

> もう一つ。S氏は判例通説とかよく口にしてそれでアプリオリに勝手に議論の勢力を
> 左右させていた感がある。全くいわれの無いことであって、これは彼自身の完全な趣
> 味と言うべきであった。どこでどうやってそうなったかがぼくには不思議でならな
> い。この、fj.soc.lawが判例通説で考えなければならないという窮屈性がどういう理
> 由から出てきたのか?憲章にでも書いてあるのであろうか?
> 
> この点に付いてもう少し続けよう。正確な意味で「通説」と言うようなことはS氏程
> 度の者が確定できるはずは無い。正確に言えば、「ある書物にはこれが通説だと書い
> てあった」ではあるまいか。判例にしても、それでここのニュースグループで議論す
> べきだとすることにどれだけの有意義性があるのか。理論的に考えてもおかしい。日
> 本は判例法主義の国ではないのである。確かに過去にはこういう裁判が成されたと言
> うことを知る意義はある。しかし、正に現在あるいは近未来において相変わらずそれ
> に裁判所が固執するかも大いに疑問な場合が少なくは無い。正当性と合理性を求めて
> 裁判自体が生きているのである。むしろここでは合理性と正当性を求めて自由に議論
> するとするほうが何倍も有意義であろう。いずれ裁判所は水が高位から低位に流れる
> ように変容するのであるから。
> 

たしかに言えてますね。ぼくチンの記憶に残っていることで滑稽だったのは憲法裁判の
話が出たときだったと思う。50年前の憲法裁判に対する判例だったと思う。最高裁判
所は傍論で憲法裁判所のことを語っているのをそのまま真似ができたと思って堂々と語
っていたのを覚えていますね。途中までしか語ってないのもわからずに、自分の理解で
補うこともできないために笑い話になっていたのを思い出しますね。

裁判所はレイシオ・デシデンダイとしてではなく語っていたわけだけれどもそれをあた
かもしっかりした理論武装したものであるかのようにそのまま受け取って語っていまし
たね。今では憲法裁判にもみんなが興味を示していて当時の「傍論」程度ではお話にな
らないものをだよ。裁判所だって当時の考えなんか今は維持しているはずが無い。

ああいう馬鹿な意見を吐いてしまうのも自分で考えないことの現われだと言えるでしょ
う。判例判例と言って真似事しかできない者の弊害が如実に現れた意見でしたね。(笑い)
学習院大学の先生=戸松秀典氏の著書を挙げておいたけれどもそれを看て少しはお勉強
したんでしょうかねえ。

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KENTAROU