ノーベル賞に馴染まない日本人の性癖
"Muraki" <muraki_n@doglover.com> wrote in message news:<3f2d2bde_1@news.premium-news.net>...
> "Kiyohide Nomura" <knomura@maya.phys.kyushu-u.ac.jp> wrote in message
> news:5f1xw2n7nb.fsf@maya.phys.kyushu-u.ac.jp...
>
> >
> > 野村@物理.九大です。
> >
> > "Muraki" <muraki_n@doglover.com> writes:
> >
> > この実績は、世界1流とまで行かなくとも、
> > > 世界的に見れば相手にもされないいなか大学。
> > と切り捨てられるほどのものでもないはず。
やっぱり切り捨てられて然るべきものかもしれない。しかしそれは東大に文句
として言うべきことではない。他の(地方)大学がしっかりしないから。切磋
琢磨する対象が無い。これが問題であろう。もっと言うならば日本と言う土壌
と国民性がそもそも問題か。それにしてもまあ、日本は、ドイツが23個だと
すればやはり20個程度は欲しいかな?
何故日本は少ないか?ドイツもそれほど多くは無いところを見ると政治的な絡
みもあろうがそれだけではないであろう。やはり国民的な「知性的偏り」=セ
ンスがノーベル賞的価値を発掘できない性質のモノでありノーベル賞的価値を
感じ取ることのできないモノなのだと思う。その喜べないモノが上から下まで、
つまり、家庭に於けるモノ、小中高に於けるモノ、大学に於けるモノ、研究者
の社会に於けるモノさらには主婦同士の井戸端会議でのモノ、ニュースグルー
プに於ける議論の中でのモノ等々として浸透してしまっているのではないか。
このことはfj.***などで議論していても良く分かる。勿論このようなところで
の議論は学問研究とは程遠い議論では有るが、仮に学問研究並に並行的移動さ
せグレードアップさせられたとして考えたとしてもノーベル賞的な「におい」
を感じさせるモノは皆無であるし、逆にそれらを抹殺する傾向にさえある。
やはり日本では権威的なもの、それまでの基準的なものに縛られる性癖を持っ
ている。たとえば、法学において判例が結論のみを語っている場合、それに理
論的な根拠を与えようとするときの姿勢が、自らの説明が説明としてなってな
いことが分かっていても判例が結論だけは与えているためかそれをあまりにも
頼りにして簡単に頭に浮かんだ浅知恵での説明を安易に採用し、それにに甘ん
じ、よりいっそう深く疑念を抱いて考えを進めるようなことは殆どしない。そ
して何かの本に書いてあったとか言おうものならそれまでの態度をガラリ変え、
ろくに説明も仕切れてないにも拘らず急に物分りのいい動物に速変わりし、分
かった感じになって安心したりする。このような性癖はノーベル賞とは完全に
無縁である。
以上を例として見たとき、恐らく全ての分野においてこのような日本人独特の
奇妙な「性癖」は本来的にノーベル賞とは馴染まず、ために受賞数も諸外国の
排する後塵を浴びる形になっているのではないか、と思う。
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KENTAROU
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
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