もちろんそんな駅は有りません。でも駅舎は残って「いました」。


竹田です。


 新京阪、現在の阪急京都線と千里線の一部。ここの話をするともれなく
ついてくるのがP6と山崎付近でのつばめのぶち抜き。それほどではあり
ませんが、起点駅・天神橋もよく出てきます。最初の「駅ビル」として有
名「だった」天神橋駅は、当初は国鉄天満(現・JR西、大阪環状線天満)
までの延伸を考慮し、壁を貫通できるように設計され建てられ、天満側は
アーチ窓がいくつも並ぶ特徴有る外観でした。延伸は実現することなく、
変わって堺筋線と地下で直通する今の姿になり、地上の駅舎としてはお役
御免となっても、大阪万博前から今年までざっと40年と随分長いことビ
ルは利用され続けていました。確か名前が天六阪急ビル。が、古い建物は
耐震補強するか解体するか問題になる今日、とうとう解体されてしまいま
した。12月4日現在、工事用の囲いを残して全くの更地です。古くは、
大阪市電がその足元を走り、高架線相当の地上高でP6が体を休め、時に
ガス爆発で足元を揺すられたりもしました。そんな、歴史の証人がまたひ
とり姿を消しました。機会が有れば、駅舎当時の面影が残っていたらしい
ビルの内部を見てみたかったのですがそれもかなわず。お疲れさまでした、
ゆっくりとお休み下さいませ。



********************来る日も来る日も103系(2代目)
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                                竹田 貴博