銀河伝承会の竹田です。


 小倉沙耶さんの日記(http://kokurasaya.blog111.fc2.com/)によります
と、豊橋鉄道の新豊橋駅が移転・新装され新・新豊橋駅が開業したそうです。

 豊橋鉄道といえば、竹田が豊橋技科大に世話になっていた2年間に南栄に
(後、高師)住んでいたとか、昇圧に立ち会ったとか、吊り掛けパノラマの
7300をお下がりにもらうもスピードアップ作戦はコケたとか、吊り掛け
の轟音が素晴らしいとか、その吊り掛けモーターが高師の留置線の隅に転がっ
ていたとか、7300の車掌マイクは伝声管とか、軌道部も頑張って欲しい
が鉄道部も負けずに頑張って欲しいとか、なかなか楽しい鉄道です。

 直近の話題は、美濃町・岐阜市内線の車両がいくつか豊橋に奉公に出て、
元・美濃町線の800と豊橋駅前の人工地盤との組み合わせなどは富山の赤
や広島のムーバーにひけをとらない素晴らしい絵になる、、、でしたでしょ
うか(元々いた古い車両はどうしたんだろう)。
 その前には、JR・名鉄豊橋から微妙に離れていた駅前電停を、100メー
トルばかしレールを延ばし、人工地盤の下まで停留所を引っ張った(違)と
いう、広島や岡山も豪傑だがどっこい三河武士の豊橋も負けず劣らずの猛者
振りを披露してくれました。

 竹田が、豊橋技科大の学部の編入試験を受けに行った時は、確かJRの改
札が地べたにあった覚えがあるのですが、大学院の試験を受けに行った時は
橋上改札になっていたような。ですので、後に豊橋に住むようになり、パノ
ラマを降りると階段を登って降りて人工地盤を少々歩いてようやく新豊橋と
いうのは、確かに楽ではなかった記憶があります。それが、件の日記を見て
推察するに、

−−−−−柳生橋から旧・花田信号所を利用し旧・留置線群の脇を通り、東
     海道線上りホームの浜松側端部の旧・豊鉄線路側に、1面2線、
     有効5ないし6両のホームを造った

ように見えます。距離にして50メートルの移転。

隔世の感があります(実際豊橋を離れて10年だから立派にひと昔)。

 日記には解体撤去中の旧・新豊橋の写真も掲載されていますが、一応愛知
第2の都市にあるターミナルのくせに、絵に描いたような「田舎のローカル
私鉄」をどこまでもアピールし続け、そのいぶし銀具合を遺憾なく発揮して
きた旧・新豊橋。ただ列車が折り返して行くだけの1面1線の面白くもなん
ともない駅なのに味だけはやたらとある旧・新豊橋。めでたく、天寿をまっ
とうしたようでございます。

 さて、小倉さんも書かれていますように、新・新豊橋では、常時1本が出
発待ちをしているそうです。ということは、小池から新豊橋に向かってくる
列車を待っているということですから、小池−新豊橋間に列車が2本いるこ
ともある、ということになります。でもダイヤを見る限りは、相変わらずの
15分ヘッドで、なんだ10年前と変わらないようです。単に新豊橋での待
機時間が長くなって、乗務員の休憩時間が長くなっただけのようです。

しかし。あいやしばらく各々方。

 新豊橋が2線になったということは、田原からの列車が到着したら、すぐ
に田原行きを出すことが可能になります。となると、今まで折り返しの準備
で必要だった時間が浮いた時間分、高師も新豊橋行きを早く出せることにな
ります。東急車なら、さすがに吊り掛けよりは加減速性能は良いでしょうか
ら、全部の待避設備をフル活用すれば、12分ヘッドいけるんじゃ・・・。



ひょっとして、豊鉄やりました? その気があるかはともかく。

悲願だった(?)新豊橋側の輸送力アップが可能になったかもしれません。
もしかすると、11年前にズッコケた12分ヘッド運転がいよいよ日の目を見
る時が来たのかもしれませんな。


#これは一度乗りに行かなきゃな。

##しかし、その晴れの日は、東急車ではなくて、7300のなのはな号・な
  ぎさ号が存命だった間に迎えたかったものです。渥美を走るパノラマレッ
  ドも、あれはあれで絵になったのですが。


********************来る日も来る日も103系(2代目)
karura@occn.zaq.ne.jp               時々201系
                                竹田 貴博