# 人の記事をとやかく言う割には、自分が間違える...
# という訳で、fj.educationをクロスポストに加え、出直し。

こういう話でしたら、(fj.education.compよりもより一般化した)fj.education
ですよ、fj.education

tanaka_nobulin@nifty.comさんwrote:
> 
:
> > 改革のポイントとして
> > ・協力し合う、違いを認め合う
> 
> 違いを認め合うというのは、どういうことなんでしょうね。

【認め合う】というのは、あくまでも相互間の話であって、相手あってのこと
ですからね、個人が受け取るメッセージとして解釈するのは難しいでしょう。
(自分でなんとかできる範囲を超えてますから。)

個人でできることは、そーですねー、たとえば、

 他人の事を、自分と同じ思考形態や身体を持つ生命体であるという思い込み
 を放棄する。

ってのはどうでしょう。(ま、ちと大袈裟な出発点ですけど。)

> たとえば、自分と他の人では考え方が違うというのは結果的に認識出来ること
> ですが、それを最初から?認め合うということなんでしょうか。

自分がそう認識すること、なおかつ、相手も自分と同じ様に認識すること、という
2条件が成立しない限りeach otherは成立しませんからね、そんな難しい事を個人
に対して要求したところで、そりゃ混乱を招く要因になるでしょう。

> だとすると、
> 他の人が何か変なことをしていても、それはその人と自分は違うから仕方がな
> いということになるような気がします。ちょっと極端ですが、「他の人がする
> ことに無関心になりなさい」というふうに受け取られてしまったら、とんでも
> ないことになりますね。

まずは、他人がどうのこうのいう前に、自分のことを考える。

ってなもんでしょ。
他人のことなんて、まずは自分が一人前になってから。

> 
> 「協力し合う」については、「なんでそうしないといけないの?」と問われた
> ときに言い返せないといけませんね。

協力しあうことの大切さというのは、共同(作品や作業やスポーツ等々)を通じて
それが完成(や達成や失敗等々)したときの想い(達成感や、苦しみなど)を皆
で共感を皆で分かち合う事で学びます。

当然、そこで共感が持てない人が居てもいい訳です。
何故ならば、世の中には、協力しあうことで得られる喜びもあれば、その一方で
たった一人だけで取り組むもの(絵画とかなんてそうでしょ)に、喜びを見出せる
こともあるからです。

それを画一的に、協力し合うことの大切さだけを押し売りすると、必ずそのこと
で苦しむ生徒が出てしまいます。

という点は、元ネタの改善点かな。

> これも例え話になりますが・・・掃除を
> サボる人のことを「あの人は違うから」って認めたらまずいですよね。

そういう話ですら、一般化は難しく、ケースバイケースでしょう。
基本的には、そういうのは先生に任せりゃいいんですって。
(と、ここだけ何故か生徒目線)

私も結構サボってましたよ。
父の仕事の都合で転勤族でしたから学校も変わる訳ですが、掃除がこれまた
学校によって違うんだな、これが。

私「え?机を下げるときって、椅子は上げるんですよね?」
他「それは、大掃除の時だけ!もうあんたがなんかすると余計時間が掛かって
  迷惑だから何もしないで!」

とか。

> 世の中のことが何も分かっていない子供に対して、「君たちは自由だからね」
> とか「何でも自分で考えて、判断して行動しなさい」とか言うのは、無理があ
> ると思うんです。それで子供はどうしたら良いのか分からないから、自分勝手
> な行動をとるようになり、親や学校の先生に怒られてますますわけが分からな
> くなっていきます。自分で考えて行動しろと言った以上、その結果何が起きて
> も怒っちゃいけませんよね。そうじゃなければ混乱するだけです。

この部分は、

> > 改革のポイントとして
> > ・協力し合う、違いを認め合う

とは、関係のないところ?
なんか話が飛んでいるように見えますけど。

> 
> そういう意味で、私個人としては「違いを認め合うと協力し合えない」という
> ことになってしまうのですが、いかがでしょうか。

違いを認めたほうが、かえって役割分担とか、補いとかができて効率的な面が
多いよな気がしますけど。

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