悪党とは・・摂津は日本仏教文明の基点
中世の摂津の悪党とは、べつに泥棒でも殺人者でもなんでもない。
日本最先進の文明人である。 だから野人から敵視され、
そのように呼ばれた。
3世紀から物流・商業・金融・建築などの都市文明が発達していた摂津では、
当時まだ野蛮かつ未開で、文明の劣る京都の大和朝廷の支配下において、
膨大な税金を徴収されることに抵抗し、自由交易主義を主張していた。
それで大和朝廷に「悪党」呼ばわりされていたわけである。
後に摂津から堺に移ったその自由交易商業都市は
やがて信長の全国統一の野望により、破壊され、
信長の後を継承したサルの秀吉によって、完全に崩壊させられ、
それらの自由交易商人は秀吉が構築した新しい町の
大坂へ強制的に移住させられた。
その後、徳川時代となり、大坂は天下の台所として、
未開の江戸へ文明や物質を供給する基点となる。
また、秀吉が大坂町を作ったのとおなじく、
家康は摂津から文明人の漁師民を移住させ、
当時未開の野蛮な土地であった江戸の文明を向上させた。
アホのToshiくんがなにかわめいているが、
そんなものに惑わされないようにしましょう。
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
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