アイデンティティーなんてものに拘泥する必
要などない、と私は考えます。"国際人"に
なろうと努力する必要はありませんし、"日
本人"になろうと努力する必要もないと思い
ます。

欧米の文化が好きならば、それにどっぷり浸
かってみればいいでしょう。それもまた、自
分が何者であるのかを理解する良いきっかけ
になるのです。

ゲーテも指摘しているように、外国語を知ら
なければ、自国語を深く知ることもありませ
ん。近代日本語の父である夏目漱石は、英語
にも豊かな知識のある人でした。近代ドイツ
語の父であるルターも同じくです。国語学者
たちの盲点は、しばしば、複数の外国語を比
較分析する言語学者によって指摘されます。

私は、英語の前にまず日本語を、という序列
論には反対です。どちらも並行して覚えた方
が有利なのは間違いありません。スケーター
を育てたいならば、きちんと歩ける前にアイ
スアリーナに連れて行かなければなりませ
ん。ピアニストを育てたいならば、箸が満足
に使えるようになる前にピアノにもふれさせ
る必要があります。

私の親類には日系人がいます。彼らに"あな
たたちは日本人ですか、それとも、アメリカ
人ですか?"と尋ねると、"双方のいいとこ
取りをしています"という答えが返ってきま
した。

日本人にも欠点がありますし、アメリカ人に
も欠点があります。どういう文化にも望まし
くない要素があり、自国の文化の要素を無条
件に受け入れようとする必要はないのです。
嫌いなものは嫌いでかまいません。

――

アンケート
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