謎の高射砲(前編)



 1945年6月23日。
私達は8機のB29で編隊を組んで日本の地方都市の爆撃に向かっていた。
高度1万メートル。
日本の迎撃機はここまで上がってこれない。
高射砲もここまでは届かない。
天候は快晴。
我々はただ目標の都市まで飛行し、粛々と爆撃を実行し、そして帰還すればよいだけだ。 


 スピーカーから僚機の機長の明るい声が聞こえる。
彼はさっきから冗談を言っていた。
「そしてさあ、野郎はそのまんまこっちを見てやがんの・・・ハーッハッハッ」
その時だった。
「わあっ。」彼が叫んだ。
「どうした?」私はマイクに向かって言った。
一瞬返事が無い。
5,6秒もたっただろうか。機長の声が入ってきた。
「今、すごいショックがあった。
 下から突き上げられるような感じだった。
 計器が狂ってる。
 機のコントロールができないっ。
 あっ。」
窓から外を見る。
彼のB29の巨大な機体がぐらあと傾いている。
そのまま、スーと高度が下がっていった。
「おい、どうした。
 俺たちに何かできることがあるか!」
返事が無い。
彼のB29はそのままぐんぐん高度を下げていく。
私は自機の高度を下げ、落ちていくB29の後を追った。
高度6千メートルまで下がって、やっと彼の機は体勢を立て直した。
へたすると墜落するかと青くなっていた私はおもわず体中から力が抜けた。

 これが謎の高射砲が最初に現れたときの次第である。



 それから終戦の日までつごう6回、謎の高射砲は現れた。
いずれも最後には体勢を立て直し、墜落したケースはなかった。
軽傷者3名。
事後の調査では機体に損傷はなかった。
日本軍の迎撃機は高度1万メートルまでは上昇できない。
高射砲も高度1万メートルまでは届かない。
ドイツのV1、V2のような日本軍の新兵器だ。
いや、気象現象だ。
諸説があったが真相は不明だった。
米空軍では謎の高射砲と呼ばれていた。



 終戦後、米軍は秘密裏にこの謎の高射砲の調査を行った。
調査は旧日本軍、軍の研究期間、そして大学にまで及んだ。
しかし・・・高度1万メートルまで達する高射砲など影も形もなかった。
後の米軍の調査によると、最初に謎の高射砲が現れたところの地上には小さな山間の村があるだけだった。
当日は村で結婚式があったという、のどかそのものの村で、そこには日本軍など1兵もいなかったのである(ちなみに花嫁は評判の美人だったそうである)。
こうして、謎の高射砲は忘れ去られようとしていた。



 新聞の社会面一面に一斉に事件は報じられた。
「JALの727、4千メートル急降下」。
機長の証言。
「最初下から突き上げられるような凄いショックがあった。
 計器がみな狂っていた。
 機体のコントロールができなくなった。
 機体は急降下を続けた。
 4千メートルほど降下したところで計器が回復し、機体のコントロールも戻った。
 その後は何事もなかったように操縦ができるようになった。」
 
 米軍のごく一部の人間達は思った。
謎の高射砲がまた現れた。



    謎の高射砲(前編) 完