教育における意味と質量
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日本の教育では、意味重視・質量軽視の傾向
がある。
一昔前は、例えば、英語を勉強するが、外国
人との会話はほとんどなかった。教科書から
意味を学んでも、質量を伴う具体的な体験が
なかったので、結局英語を操れるようになる
人は極少数だった。
音楽の授業もまたひどいもので、夥しい作曲
家の名前を覚えさせられたが、ドビュッシー
の曲を聴くだけでは印象主義だということが
分からなかったし、「#」が六つあれば嬰ヘ
長調もしくは嬰ニ短調であると教えられたわ
けだが、ハ長調とイ短調の音階を歌うことす
ら怪しかったし、そもそも、音楽で一番重要
なテンポ感とリズム感を習得する具体的な修
練はまったくなかった。
日本人は極端論に走りやすいのか、体育の時
間には、ほとんど意味を教えられることはな
かった。これは現在もほとんど変わらない。
例えば長距離走ならば、着実に成果を上げる
ためのしかるべきやりかたがあるわけだが、
そのようなことはまったく教わらない。
質量と意味のバランスが重要である。それぞ
れの科目で、適切なバランスが取れるように、
配慮すべきである。
質量一点張りも駄目である。写真家の助手と
して暗室にこもっているだけでは写真家には
なれない。
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アンケート
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Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
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