Mon, 28 Feb 2005 21:30:03 +0900,
in the message, <42230ECB.7050708@24I.net>,
向居彊 <tm@24I.net> wrote
>TRIPS協定の28条(1)には、
>
>    特許は,特許権者に次の排他的権利を与える。
>
>とはっきり、特許権は排他権であると書いてあります。

それが何か?

排他性は特許権の内容ではないなどとは言っていませんし、国際協定、条約、
他国の法令に「排他権」についての記述が無いとも言っていません。
「通説的には専用権が本質で排他権は裏返し」と言っているだけです。
排他権が少なくとも特許権の内容であることを否定している人はおそらく誰も
いないでしょう。

ともあれ、単に「排他的権利を明文で与えている」からと言って特許権の「本
質」が排他権であることになる論理的必然性はまったくありません。

確かに、排他権が本質であると主張する論者の中には、同協定およびその他諸
外国の特許法の規定を引いて、どこも「内容を」排他権として定めているとい
うことを、一応は傍証的な扱いとは言え、理由に挙げている人もいます。
しかし、そう言っていながら、通説が専用権を本質とする理由が「条文の規定
の仕方が専用権を規定する形態になっているから」だとすればそれは根拠には
ならないという自己矛盾した指摘をしていたりします。
「だったら、あんたの言っていることも同じでしょ?」ってのは頭が回らんの
かね?と思いますが。
専用実施権を定める条文の存在が本質が専用権である理由にならないのであれ
ば、同様に、排他権を定める条文の存在は本質が排他権である理由にはならな
いのだけどね……
(弁理士だったらそのくらいの理屈は直ぐ解ってもらいたいものだ。
 だいたい、「外国がこうなっている」と言っても「それは日本の話では
 ない」というだけなのだが。
 なぜ、直ぐに他所の国を引合いに出したがるのかね、この国の人は。)。

権利の本質は、そんなことではなくもっと実質的な権利の意義から考えるべ
きもの。

実際には、排他権を本質とする人が最大の根拠とするのは、TRIPS協定あるい
は条文に何と書いてあるかなどという形式的な話ではありません。
特許登録しないために特許権がなくても実施は可能であるが禁止はできないと
いう実質的な理由を挙げるのが普通
(まあ、この点については、私が見た限りの文献の記載は説明不足の感は否め
 ない。)。
権利の有無によって差が生じない部分は本質ではないはずということなのだろ
う。

# ま、個人的には、専用権も排他権も本質ではないと思ってたりするんですけ
 どね。

>日本だけでの通説を述べていらっしゃるのでしょうか。

そうです。
厳密に言えば、日本「だけでの」ではなく日本「(で)の(正直、「で」は不
要。)」。
「だけ」というのは他所との対比を前提にした表現ですが、そもそも他所のこ
となど全く考慮していません。
日本の話をしているのであって他国の話などどうでもいいのです。
fjで断りもなく述べるのなら常識的には当然日本の話に決っています
(たまにそうでない非常識なのもいるみたいだが。)。

# ちなみに先進諸国においては「排他権が本質」と考えるのが主流というのは
 確か。
 尤も、「他所の国がどうだから」というのはまるで根拠にならないけどね。
 他所は他所うちはうち。
 国際協定ないし条約があったとしても、それがゆえに加盟国すべての国内法
 が共通になるわけではない。
 他所の国がどうこうというのは、その理由が明らかになってそれが日本にも
 当てはまるという場合に限って初めて意味があるのである。
 ……まあ、日本の企業とかですぐ出てくる理由になっていない理由が、「他
 所もやっている/やっていない」。
 ……いやさ、他所がやっていようがいまいがそんなことはどうでもいいんだ
 よ。
 自分のところがやるべきかどうかで考えろよ。
 某私立大学の話で、「他所の(特に有名)大学ではやっていない」「他所が
 やってないからやるんだ。他所の真似をしたってこれからは生残れないし、
 他所がやってからでは手遅れだ」というしょうもない議論があったのは事
 実。
 そして、この「他所が」と言っているのは、「民間企業出身の教員」で
 「他所がやらないから」と言っているのは、国立大学から転籍した教員だっ
 たりするあたり「民間」だって言うほど大したことはないということ。
 まあ、実際自分の勤め人経験からしても「民間と公務員との比較なんて無意
 味」だと思っているが。
 しょせんどっちも「日本人」。:-P
 お役所体質と言うけど実のところは日本人の体質なんだよ。

いずれ、本件においては「排他権を本質とする」にしても説明が少々変わるだ
けで、特許の目的に「自分だけが実施すること」があることには何の変りもあ
りませんし、「他人の実施を禁止する目的」が多くても意外でもなんでもない
こともまた然り。

結局、本質が「専用権か排他権か」は結論には影響しない。
「排他権」が本質であるにしろ本質の裏返しにすぎないにしろ「内容」である
以上、結論は同じ。
それどころか、本質を排他権と考えれば「他人の実施を禁止する目的」の特許
は本質そのものずばりで、ますます、「数が多くて当り前」となるだけのこと
です。

-- 
SUZUKI Wataru
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