Path: ccsf.homeunix.org!ccsf.homeunix.org!news1.wakwak.com!nf1.xephion.ne.jp!onion.ish.org!news.heimat.gr.jp!news.tutrp.tut.ac.jp!news.cc.tut.ac.jp!nfeed.gw.nagoya-u.ac.jp!news-sv.sinet!newsfeed.mesh.ad.jp!giga-nspixp2!spinnewsgate!attnet-tokyo!not-for-mail From: Prophet of the Way <afu@wta.att.ne.jp> Newsgroups: fj.rec.poems Subject: =?iso-2022-jp?B?GyRCO01MTEE/Mk4bKEI=?= Date: Fri, 19 Nov 2004 08:10:06 +0900 Organization: JENS Internet Service Lines: 29 Message-ID: <419D2BCE.870547EE@wta.att.ne.jp> NNTP-Posting-Host: 227.pool3.nishitokyo.att.ne.jp Mime-Version: 1.0 Content-Type: text/plain; charset=iso-2022-jp Content-Transfer-Encoding: 7bit X-Trace: newsflood.tokyo.att.ne.jp 1100819310 4851 165.76.60.227 (18 Nov 2004 23:08:30 GMT) X-Complaints-To: newsadm@newsflood.tokyo.att.ne.jp NNTP-Posting-Date: Thu, 18 Nov 2004 23:08:30 +0000 (UTC) X-Mailer: Mozilla 4.51 [ja] (Win98; I) X-Accept-Language: ja Xref: ccsf.homeunix.org fj.rec.poems:111 今年の夏中国・重慶で行われたサッカー・アジアカップ大会試合における、中国人観衆の 声援の行き過ぎをNHKニュースが伝えた際、「日本人サポーター四面楚歌」という字幕 が現われた。 この「四面楚歌」の用法、おかしいと思ったのは、私だけだろうか。楚王項羽が漢軍に包 囲された時、聞いたのは自分の故郷の詩歌である。「四面楚歌」とは近親者までが離れて 敵に回ってしまった危機的事態を言う。 「楚辞」を読んだ人はご存知だろう。「詩経」とは、語彙も音律も随分違う。他域出身兵 に楚歌を教えるというのは、簡単なことではなかったと思う。これも漢将韓信の周到な作 戦か。計略を看破できず、「何ぞ楚人の多きや」と嘆き、落胆してしまうのも項羽らし い。 重慶は春秋戦国時代、巴国の都。その西の蜀、東の楚とともに、周室からは、習俗・言語 を異にする化外の地とみなされていた。これを言う時、「鼎の軽重を問う」という故事が 引き合いに出される。巴と楚は巫山を堺とし、長江を介し経済交流があり、王室も婚姻関 係で結ばれていたらしい。楚の都は鄙(エイ)は後に江陵。屈原の時代、縦横家張儀の活 躍で蜀は秦に併合される。秦の天下統一の少し前、巴は楚によって亡ばされたらしい。漢 代から、蜀と巴が一体の地方とされるようになる。 ずっと時代が下って日中戦争の最中、南京、さらに漢口を追われた国民党政府は、重慶を 臨時首都とした。日本軍機は巫峡を超え、これを爆撃した。先述のNHKニュースはこう した歴史背景にはふれなかった。 垓下の戦や五丈原の戦については詳しく知っておきながら、日中戦争については無知に過 ぎる。この戦争の戦火に追われ、軍靴に踏まれた人々の詩があるはずである。これを探 し、書き下し文として紹介したい。 預言者道祖