古寺です。

#不思議となっつかしー話題が出てくるスレッドですね...

ABE Keisuke さんwrote:

> そういえばすっかり気にしていませんでしたが、京成では以前の急行や
> 現在の快速は船橋競馬場以東が全駅に停車、現在の通勤特急は勝田台以東
> 全駅に停車でした。種別は変えません。

関西どころか、茨城転勤時以降でちょっと追えなくなっていまして。
fjやあるMLあたりで教わったりはしたのですけど、たとえば押上線特急は
同線内を急行と同じ扱い(立石、曳舟停車)だったのを朝通勤の速達化で
逃げるため「通勤特急」を逆の意味で復活させ(そこまでは東京に居たので
覚えている)、後に種別を整理して一部速い方に揃えられていたんですよね。
 
> むかしは○囲みの「急」印の急行は、センター競馬場前以東は各駅に停車
> という看板が出ていましたが、私が物心がついて以来、京成の急行は
> センター競馬場前(船橋競馬場)以東は各駅に停車していました。
> 昔は急行に2種類あったのでしょうか?

#この話、別項で書いた、都営1号系統では種別幕がかなり普及しても、
#幕装備車でも種別板を掲示し(都5000は例外)、それゆえ各停区間でも
#種別変更しにくかった話とも絡んでいます。

はい、有りました。といっても2種類なのは日中基準の話で、後の「急行」
への統一対象は2種類どころでは有りません-:)
○囲みは押上線系統の急行で、原則佐倉どまりが多かったように思います。
行楽(つーてもお参りか)で成田の方へ行く際には、上野線系統の「急行」
とちゃんと書いてある方(^^;に乗らないと、エラいめに遭ったものです。
料金不要特急はその後の種別整理大改正を挟んでも日中40分間隔でまる
でアテになりませんでしたし。AE車デビューとの前後関係をはっきり覚
えてませんが、どっちにしろ「開運号」で本数どん底な時代(高砂の親戚
宅が拠点になるので、いずれにしろ使えず)でしたしね。
で、主に青電(で思い出しましたけど、東京の東部では青電/赤電を京成
のそれで使ってましたし、やっぱり常磐線のは一般的では無かったかと)
使用だった千葉行き快速が廃止されたりの改正で、種別が滅茶苦茶整理
されました。

#最近また増加傾向ですけど、京成の列選確認灯に一時期やたらブランク
#が有ったのもこのため。

で、急行絡みの統一対象が2系統統一だけではないと上で書いたのは少々
大袈裟なんですけど、急行・特急とも「通勤××」の廃止統一をやった
んですね。この際、全て「論理和」を取った状態でして。特急、あるいは
急行と付くものが停まる駅には、新しい特急と急行それぞれは全部停ま
ると。

まとめると、センター以遠各停(当初谷津遊園?)になった主要因は仰る
通り押上系統急行(丸急)に合わせたものです。通勤××の停車駅を全て
含めた事による影響は自信の無い記憶ですが、上野系統の千住大橋あた
りが臭いです。
特急に関して個人的に象徴的なのは小岩で。折り返しが有る(都車の
かなり)からそんな小駅じゃないと個人的に思っていたのですけど、
高砂のおじは「小岩に停まるようじゃ特急じゃないな」と新聞記事見な
がら苦笑していたのを覚えています。なお、この時点で押上系統の平日
日中・休日特急は無く(正月とかの成田〜三浦海岸など除く)事実上通勤
時のものだったんで、こっちの方は「通勤」側に合わせて大した影響は
無かったと思いました。

#種別幕を回すと出てきた「準急」はいつ無くなったんだろうなぁ...

なお既出の小田急にしろ名鉄にしろ、全線に渡って急行停車駅が設定さ
れてるのに、末端各停になる場合が増えてくると普通への(ああ、小田急
は種別も各停でしたっけ^^;)種別変更が多いという印象を与えるように
なってきます。京成急行がこの距離で相鉄急行みたいに「全線の半分各停」
な状態になっても、それはそれで「急行停車駅」が連続してるわけですか
ら急行のままなんですね。
末端で一々種別変更しないとことが多いのはそういう根拠も有ります。

#小田急は小田原口で通過運転するかしないかで、急行にA,Bが有った記
#憶ですけど。
##昔の西武は平休で性格の全く違うのが走ってたり...ってキリないな。