嶋田@京都です。

Masahiko_KODERA wrote:
> 
> > 昭和 56 年(1981 年) 9 月 1 日の時点の平日ダイヤで
> 
> 貴重な資料ですね。最末期ですかね...
> 
> #つくづく、高校に電車通学中って最後まで荷電は有るは釣り掛けは居るわ、

         その頃の記録って今になってみると「貴重な資料」になって
        しまっているんですね。最近、つくづく昔の旅行を思い出すと
        「しまった、あの時、あの列車(車両)の写真を撮っておくん
        だった」と後悔することしきりです。その当時は何の変哲も
        ないありふれたものでフィルムがもったいない、などと思って
        いたものですが。

        # もう10年もすると485系の写真さえも「貴重な」ものになるかも。

> で、最末期ですかねぇ...なんですが。旅客車で代用したりしてたんでしたっけ?

         国鉄末期も北海道ではキハ22をまるまる荷物車代用して
        いたりしました。どこかの盲腸線に乗りに行った時、当然
        単行だと思っていたのに2両編成で来て、空いている方
        (そんなことを考えるまでもなく、もう一方もガラガラだった
        んですが)に乗ろうと思ったら、車掌から「こっちの車は
        荷物用だからダメ」と言われたりしました。

> 基本的に私鉄の荷物輸送は、国鉄との連絡運輸の一貫としてやっていた認識で。

         荷物輸送は旅客輸送と違って一体でやっていたみたいですね。
        確か国鉄から私鉄へ積み替えても運賃は通し計算だったような。
        と言うか、私鉄の駅自体が荷物輸送に関しては国鉄の駅扱い
        だったようです。鉄道だけでなくバスや船もそうだったようで、
        ある時、国鉄の駅で荷物扱い便覧のようなものを見せて
        もらったら、礼文島の香深港「駅」(東日本海フェリー)とか、
        那覇港「駅」(琉球海運)なんてのまでありましたし、ずっと後年、
        もう国鉄の小荷物輸送なんてのがほとんど無くなった頃だったと
        思いますが、石垣島の琉球海運の事務所の外側に古びた「国鉄
        小荷物代行輸送取扱所」っていう風な看板がうち捨てられていた
        ような……と言っても同じ時、同じ石垣島の西表観光海運の
        事務所のカウンターの棚の上には運賃が「弗(ドル)」、
        「仙(セント)」単位で書かれた案内看板が放置されていましたが。

> ウチで関西へ出向してしまった祖父母とのやりとりで、よく鉄道荷物を
> 使ってたみたいなんですが(〜'75)

         当時、まだほとんどの駅に停車する荷物列車が運転されている
        か、あるいは定期旅客列車に荷物車が連結されていたみたいです
        ね。

> 出せるところがどんどん遠くなって嫌になってたみたいでしたね。

         やがて、そういった小駅からの荷物はトラックで大きな駅に
        集め、そこで荷物列車か荷物車に乗せるようになったようですが、
        やがてこのトラック便自体が廃止され、荷物の受け取りは大きな
        駅でしかできなくなってしまったように思います。
         私も旅行する時は乗車券(たいていは周遊券)を持っている
        「特権」を利用して旅客手荷物(チッキ)を利用していたもの
        ですが、やがては取り扱い箇所の減少で使い物にならなくなった
        ような気がします。あるいは旅客手荷物運賃が高くなって利用
        する意味が無くなったのだったかも知れません。
 
> #さりとて、全国レベルの宅配業者が成長するのにまだ暫く掛かったような。

         そうですね。昔、庶民がちょっとした荷物を送ろうとすると
        国鉄小荷物か郵便小包しか方法が無く、それにあぐらをかいて
        双方とも態度が横柄で、かつ、荷扱いも荒くて評判が悪かった
        ような。


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