Path: ccsf.homeunix.org!news.moat.net!newsfeed01.sul.t-online.de!t-online.de!fu-berlin.de!uni-berlin.de!individual.net!not-for-mail From: kaz hagiwara Newsgroups: fj.soc.politics Subject: Re: =?ISO-2022-JP?B?GyRCJVUlaSVzJTkkTks9RjAkT0xARnwkTkZ8S1wbKEI=?= Date: Wed, 09 Nov 2005 16:36:45 +1000 Lines: 23 Message-ID: <3tdjo0FrtsdrU1@individual.net> References: Mime-Version: 1.0 Content-Type: text/plain; charset=ISO-2022-JP Content-Transfer-Encoding: 7bit X-Trace: individual.net xSLOni2Z4gSCUxzwRW92AQCGD26V3OzvVqY+jMxUE3Z5T+Iqs= User-Agent: Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja-JP; rv:1.7.5) Gecko/20041217 X-Accept-Language: ja, en-us, en In-Reply-To: Xref: ccsf.homeunix.org fj.soc.politics:26540 Fumimaro wrote: > 自由貿易をするなら、するものたちは、まけたら奴隷という認識がい > る。 まあ、「自由」というのはどこに発生する「自由」もそんなものです。 互いに自由でありながら全くの平等であるというのは絵に描いたモチで、アメリ カあたりはその辺をごまかすために「機会平等」を唱えるわけです。チャンスだ けなら平等にあるということにしたくて法整備をし、ついでによその国にプレッ シャーをかけることも忘れません。 一方の社会主義は、その絵に描いたモチの「結果平等」を唱えて人心を釣って、 実際は一部の人間に自由を与えるためにタテマエ上全員に制限を課すということ をやり易い「主義」だというだけのことで、「絵に描いたモチ」が絵に描いたモ チであることには変わりありません。そもそもそんなことは社会主義じゃなくて もやればどんな政治体制でもできるわけですが。 要は「程度問題」であって、どこまで「自由」にしてどこまで「制限」するかと いうさじ加減がその中で暮らす人間の大多数に「まあいいや」と感じさせるかで しょうが、それも今は一国内の問題として取り扱われているにすぎません。世界 政府でもできないかぎりその「さじ加減」を世界に及ぼすことも無理です。 萩原@グリフィス大学