アメリカの「自由競争」と「独占」と「ジャーナリズム」と
資本主義において「独占」というのは内的矛盾だ。「自由競争」が建前なの
に、それを追求すれば最後は競争には強者が勝ち、原理上は「独占」にいた
る。「自由競争」は死ぬ。これを防ぐには、自由への絶対的な帰依が必要。
自由への国民的な帰依がなければおよそ「自由競争」などというものは成り立
たない。
イギリス、アメリカこの両国人の血には、古典派経済学の血が生きており、な
にか経済がうまくいかないと、それは自由を疎外している何かがあるからだ、
規制があるからだ、という結論に至っている。国民はたやすく同調する。良か
れ悪しかれこの両国には、英国古典派経済学の血を引く自由への確信が生き
残っている。「見えざる神の手」による、商品の市場価格の決定機能。それ
が、近代経済学では一般均衡という、ミクロでいうところの、需要曲線と供給
曲線の、価格と数量を二元とした座標平面での交点に置き換わる。そこには科
学としての数学は存在しているが、神の手は御用済み。しかし、英国、米国の
血は、ことあるごとに、自由にしておけば何もかも見えざる神の手でうまくい
く、という自由への絶対的帰依がことあるごとに顔をだす。それほど、自由へ
の帰依が絶対的な両国なのだが。
だが、こと、ジャーナリズムに限って言えば、アメリカのジャーナリズムは、
もはや、独占化が自由競争を駆逐した。言論による駆逐ではなく、あるいは、
法規制による言論封殺でもなく、極めて低コストで、真綿で首を絞める方法で
ジャーナリズムから自由競争が駆逐された。それは、いまさら言うまでもない
が、有利な合併をし続けるがためには、株価の高値保持であり、株価はシェア
であり、視聴率であり、視聴率は国民迎合の主張であり、単細胞国民は熱狂的
で、自制が嫌いで、論理のすり替えで騙しやすく、それにより騙されやすいか
ら、およそ、ジャーナリズムなどという「良心」などに迎合していたら、自社
がつぶれるか、低条件で吸収合併されるかしかないからだ。巨大化した独占的
ジャーナリズムが、それぞれ、戦国大名になりあがって、一息入れている。
騙すにも、テクニックがいる。もはや、お抱えの広告代理店がアメリカ指導者
の必需品となっている現実は、ジャーナリズムも、広告代理店をも含めて巨大
コンツェルン化している。アメリカのジャーナリズムは死んだのだ。
民主主義とは、批判の可能性であり、反対派との議論の可能性であるとするな
らば、もはやアメリカは自由の国アメリカとはいえない。
下記のいしはらさんのメッセージによれば、
"Shintaro Ishihara" <"Shintaro Ishihara"> wrote in message news:3fbe4c22$1_1@127.0.0.1...
> 日本の自衛隊派遣、アル・カーイダが改めてテロ警告(読売)
> 「オクラホマ爆破事件と911」
> http://tanakanews.com/c0218OKC.htm
>
上記リンクの田中さんの記事は,極めて重大ではないだろうか。
アメリカのジャーナリズムがもはや、テロ養成機関と国家とのかかわりにメス
を入れられないのなら、世界は、アメリカ産オレンジならぬテロオレンジが、
蜘蛛の子を散らしたように散らばるではないか。膨大なテロ活動資金は、どこ
かから流れ続けている。さもなければ、テロ活動は維持できない。アメリカが
マッチポンプ屋に成り下がったとするなら、なんとも、日本の、派遣賛成反対
の議論は、いや、世界の派兵は、見当はずれな行動ではないだろうか。貧乏人
がロケット砲なんか買えるのか?食わずにテロ活動するわけにも行くまい。日
本に渡航するにも金がいる。ウサマ・ビンラーディンの通帳に振り込む奴がい
て当然だろう。そう思えるが。
日本のジャーナリズムも口を閉ざしている。何故だ。国政調査権を持って自由
と民主主義を守ると自負する国会議員は国民の前にこの田中宇さんのレポート
にでてくる事件を国策にかかわるものとして追求せよ。ジャーナリズムは、同
じく追求せよ。茶番劇と知りつつ、わが国の国民の進路を誤まらせてはならな
い。それが、政治家であり、それがジャーナリズムではないのか。日本には、
このような政治家も正当もジャーナリズムもないのか。
そうか、してみればわが国も、それらの分野で独占化してるのか。二大政党制
も考えてみれば独占化か。菅さん、ちょっとは考えてクレよ、もっと巨視的な
目で。
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
GnuPG Key ID = ECC8A735
GnuPG Key fingerprint = 9BE6 B9E9 55A5 A499 CD51 946E 9BDC 7870 ECC8 A735