大崎です。こんにちは。

In article <3effdd08$0$260$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp> at 30 Jun 2003 06:47:37 GMT, YUJI OHSAKI wrote:

>In article <3ecc40ac$0$3089$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp> at 22 May 2003 
>03:14:53 GMT, YUJI OHSAKI says...

>> 茨城県南部に住んでいるのですが、ここから交通量が少なく、走って楽しい/
>>景色も良い山道って遠いです(;´・`)> 実家が京都市なので、大学生のころは
>>途中越え/花脊峠/周山街道等にバイクでよく走りにいったのですが、少し北に走ると
>>すぐにそういう山道に入ります。京都が懐かしい。

> 特に若狭から京都市に通じるR162がお気に入りでした。
>四季の変化や気象条件の変化を直接、肌で感じることができるバイクが好きでした。
>しかし、事故を起こすと直接ダメージが体に及ぶバイクは危険な乗り物かも
>しれません。ですから、自分で出来る、身を守ることは欠かしませんでした。
>たとえば夏でも長袖/グローブをしてました。でも、ツーリングの前日の夜は、
>明日のツーリングは事故もなく無事に帰ってくることができるだろうか、と
>心配になったものです。ですから、無事に家に帰ってきたときは嬉しかったです。
>普段はあまり考えることもない「死」というものを考えさせられることにより、
>より「生」というのも実感させてくれたバイクという乗り物とともに青春を
>過ごせたことに感謝しています。

 レーサー達は己の命をかけてレースに臨むのですが、全力を出し切ったときの
充実感がレーサー達を次の戦いに駆り立てるのかもしれません。

 私は2回大きな転倒を経験しました。一回は完全なもらい事故。過失割合も0対10でした。
幸い大きな怪我はありませんでした。もう一回は砂にフロントタイヤをとられた
単独での転倒です。

 細い山間部の道でしたので、40キロくらいで走っていたと思います。
ゆるい左カーブになったので少しブレーキをかけました。少し砂がありましたが、
そんなに気になるほのでもない路面状態だと判断しました。
しかし、私はそこでアッというまに
転倒したようです。ようです、というのも、転倒で脳しんとうを起こし、そこからの
記憶がないのです。ただ、気を失った、というわけではなく、起き上がり、
近くの民家に助けを借りに行ったみたいです。で、その民家の方に、バイクに
乗っていて転倒したようなのだが、どうしてここにいるのかぜんぜん記憶がないのです、
って話しています| ̄▽ ̄;| で、民家の方が、名前とか住所とか分かりますか?、
って聞いているのですが、それにはちゃんと答えています。で、民家の方が心配して
救急車を呼んでくれました。その救急車の中で本来の意識が戻りました。
幸い、脳にも異常がなく、かすり傷程度の怪我でした。ただ、バイクという乗り物は
あのような状況でも簡単に転倒してしまうリスクがあるんだ、というのを
実感しました。親は心配していたでしょうけど、あのころはまだ若かったし、
そのリスクを引き換えにしてもバイクは魅力的でしたので、しばらくバイクに乗り続け
ました。

 今は結婚して3人の子供がいます。このNGで、「またバイクにのりたいかも」、
って発言しましたが、あの転倒事故のことを思い出すと、純粋にライディングを
楽しめる気分にはなれないみたいです。子供達が私から巣立って行ってから、
またバイクに乗りことを考えます。まだ先のことですが、それまでは雑誌、
このNG等で、イマジネーションの世界でバイクを楽しみます。



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