オウムども。お前らの利口馬鹿にはあきれる。
村山が社会党だと思っている貴様らの馬鹿さ加減は、冷えた温泉並。
社会党が、その晩年、マルクス・レーニン主義を捨てたことを知らんのか。
あれはもう、社会主義党じゃない社会党なんだよ。つまり、ただのポン骨老骨とここ
が、肝心できさまらピンボケには逆立ちしても見えないところだが、社会主義、マル
クスレーニン主義とはなんら関係のない、それでいて、日本国民がどこにも政党がな
いから社会党のひさしに雨宿りしていた庶民の内在というものがあったのだ。

労働組合というのは日本から壊滅したが、ここには表の意味と裏の意味がある。マル
クス・レーニン主義という看板で、政党という、「労働組合」の、つまり「逃げ込み
寺の総元締め、しょば代集金屋」としての政治勢力が表の意味ではあったが、裏の意
味では、マルキシズムなどとは水と油の、それでいて、思想、信条の自由をもとめ、
平和な小市民生活をもとめるブルジョアジー的精神にひさしを貸してる意味も裏の意
味としてあったのだ。

浅沼稲次郎にはそれが読めていた。しかし、浅沼亡き後、成田知巳という坊ちゃんあ
がりには、表の看板しか見えない。佐々木だの江田三郎だのそこらの連中みな同じ。
結論をいえば、この裏の意味でひさしを借りてた連中は、ナンミョウホウレンゲッ
キョウに流され、あるいは無関心層へとながされていった。ちなみに無党派層などと
いうのはマスコミの作ったお世辞言葉で、そんな気の利いた連中などいはしない。ひ
さしをなくしてびしょぬれのただの乞食だ。教養もなく、池田のような間抜けな脳み
そしかもてない脳の栄養失調連中だよ。

政治的には、相互波及だ。政治政党として表の意味にしがみつき、選挙用に国会で存
在感をひさしにいる連中に見せるために牛歩をするくらい。目先のベースアップ、春
闘秋闘という乞食のつり銭ねだりに明け暮れ、ひさしにいる庶民の思想、信条の自由
をもとめ、平和な小市民生活をもとめるブルジョアジー的精神をリードする能力もな
く、裏の意味を見捨てた政党の本音で、ひさしから人は消えていったのだ。
表の労働組合に胡坐をかいてたことは、経済の発展で労働階級が変質したことが労働
組合の弱体に少なからず影響したが、ここぞとばかりに経営支配陣に切り崩されたこ
とも事実。しかし、本質はそんなことじゃない。ひさしに雨宿りしていた日本ブル
ジョアジーの精神が地下に霧散していったことだ。

霧散した日本ブルジョアジー精神に社民党は気づいてはいるが、すでに霧散した群集
を呼び戻すアドバルーンなどない。小泉にかけた霧散連中も今回は民主に避難したも
のが多数出た。

だが、この国の悲劇は、政治がいつだって表看板でしか語られないことだ。
特徴的なのはイラク問題。民主党も国連が認めれば送り込むはら。遅かれ早かれ、死
人がでて自衛隊予備軍が減れば徴兵制に切り替わる。ここでも、政治は表の論理でし
か登場しない。国際貢献。海外企業の安全操業。愛国心。自主憲法。年金の財源。ど
れもこれも、表の論理。日本からは日本ブルジョアジーのひさしが、寺のようで寺で
ない念仏集団のひさしと、都会のどこでもある無数の雨宿りポスト(たとえば地下鉄
の上がり口)にとってかわったのだ。

浅沼稲次郎のような人間や、田中角栄のような人間は、その辺を読み取る力量があっ
た。右も左も関係ない。そんなのは表の論理。

社民党は裏の意味の政党になるパワーをどこかで求めながら、自分では日本ブルジョ
アジーに本当にはきづいていない。もう、成田知巳の社会党などではなく、浅沼稲次
郎の表も裏も飲み込んだモンスターでもない。だが、社民党には、裏の意味の日本ブ
ルジョアジーの精神にナントナク気付くも論理化する能力が備わっていない。

池田のアホに代表される連中は、表の論理でプロパガンダする人の言葉をオウムがえ
ししてるだけ。
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日本に必要な政党は、日本ブルジョアジーを触発する集団だ。企業は目先
の決算黒字に容赦ない弱いものいじめをしているが、こんな黒字はいくら出しても日
本は回復しない。購買力をなくした日本国民は、保護する労働組合も、憲法13条を
実現する労働法も持たず、年金のない多数の国民が青空ベッドで頓死する時代には
いっていくしかないだろう。何がかけているのかは一目瞭然。黒マグロの味をしらな
い君らには、日本ブルジョアジーの精神など見えようはずもないわいな。