日本が国民を失ってから、はや久しい。
天皇教がなくなり、同時にわが国からは国民は途絶えた。
丸山真男の超国家主義的論は、戦後のセンセーショナルな見解であったが丸山真男が
ポスト天皇教を日本国民に提示することはなかったと思う。

わが国にとって、何が近代化に際して決定的に不足した要素かといえば、予定説を持
たないゆえの、「倫理のなさ」ではないだろうか。天皇教に、神への敬愛を投影して
エトスを持った民。だがいまや、政府指導は、天皇教が予定説に匹敵するものではな
いことを、知り尽くしている。

戦後、わが国は、非自主的経緯とはいえ平和憲法というものをもち、戦争への嫌悪時
代にあった。この平和憲法さえあれば、嫌悪する戦争から救われるとする思いは、
たとえて言えば、平和憲法とは、予定説で救済されるべく選ばれた者たちを象徴する
ものであり、選ばれた者がとるべき倫理に他ならなかった。平和憲法という、予定説
への対抗手段を捨てるならば、新しいエトスがいるだろう。改憲を言うなら、新しい
エトスはなににするのか、どうやって築くのか、この点に目をつぶっていては民は動
いてくれないだろう。

昨今の、憲法改正論議、海外派兵、および、集団的自衛権を認めさせようとする流れ
は、たとえ制度として憲法にさだめても、画竜点睛を欠く。明治時代の元勲は天皇教
を創設して、わが国のエトスに代用した。しかし現代はポスト天皇教、ポスト平和憲
法を発見できていない。これでは、わが国に国民は生まれないのではないか。自主憲
法制定を言う場合は、ポスト天皇教を提示するほうが国民には理解しやすいと思う。
いかなる知恵があるのか?国連中心主義では、予定説に匹敵するインパクトはない。

何もしないわけにはいかないからイラクへ、などという人がいるが、エトスのない民
を象徴している。