Re: 拉致は招待だ (非アリストテレス的論理学)
"Miya_S"さん<kmiyashita@firemail.de> wrote in message
news:3f7c25bd_1@127.0.0.1...
> Kiyohide Nomura <knomura@maya.phys.kyushu-u.ac.jp> wrote:
>
>
> > それから、Miya_S さんが
> > (形式論理学以外の)「広義の論理学」
> > に基づいて議論するなら、今後そのように明記して下さい。
> > 読者が混乱します。
>
> 承知しました。混乱をある意味で目的としていたので
> さぁ、たいへん、こんな約束してしまって・・・
> >
カントは形式論理学としては、伝統的論理学をそのまま認め、アリストテレスによっ
て完成されたと考えましたが、そう考えたのであってこれそう取り決めたのであっ
て、べつに、絶対的見地において正しいと判断してるわけではないと思います。カ
ントは形式論理学とは別に、先見的論理学を加えてますね。つまり、経験が成立する
ための根本的原理を考察する認識論を論理学に加えた。さらに、先見的論理学の中
で、仮象の論理学(弁証論)を説いた。
論理学という言葉は、もともとはロゴスの学ですから。これは万物を貫徹している存
在の法則の意味ですよね。ロゴスの学であれば、論理学よりさらに広い間口を
持つ。ヘーゲルの論理学はこうしたものではないでしょうか。
どなたかが、論理学は人のものではないといってましたが、Miya_Sさんは、ヘーゲル
にはヘーゲルの、カントにはカントの開発した系であるという意味においてのことで
すよね。
それに、どうやら投稿されてるかたは理系のかたが何人かおいでのようですね。
アリストテレスの論理学を越えるということは、
近代科学という側面からかんがえれば、二値的な論理から近代科学が提起する
多値的(=非アリストテレス的)論理への転換と考えれば、よいのではないでしょう
か。
アリストテレスの論理学というのは二値的体系ですね。
私たちは日常の生活でこれに慣れている。
「A は A である」(同一律)
「A は B で かつ 非B ではありえない」(矛盾律)
「A は B か または 非B でなければならない」(排中律)
形式論理学=アリストテレス的論理学というのであれば、多値的論理学は非アリスト
テレス的論理学です。
われわれの日常の思考は、とかく、二値的な考えに拘束されていますね。
政治的な詭弁に限るものではありません。問題解決の方法にしても、無意識のう
ちに二値的な狭い道にはいって不適切な選択をしてしまいます。
「これをするか、しないかだ。」的思考。
しかし、「同じ川のなかに二度と足を踏み入れられない」という現実は、なにも
ヘラクレイトスの言葉ばかりではありません。
方丈記の冒頭にも似た文がありますよね。
アリストテレス的論理学の危険性は日常の問題です。ここから脱出することは
大切なことだと思います。
Miya_Sさんの狙いもそんなところかと。
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