教育論点
[この記事を分割した各文書の型(Content-type)構造]
とりあえず、これまで暗礁に乗り上げてきた論点です。
<学校へ行かせるのか、行かせないのか?>
私はこれはリスクとリターンの問題だと考えています。子供が「学
校に行きたくない」といったときに、「好きにしなさい」と答えた
場合には、当然それなりに失うものはあるわけです。子供の自殺な
どの大きなリスクを回避できるかもしれませんが、それなりにコス
ト――金銭的なものではありません――はかかります。
突き詰めれば、子供を学校に行かせるということは、教育というリ
ターンを得させるために、ある程度のリスクを負わせることでもあ
ります。子供がどの程度のリスクに耐えられるのかは、それは個人
差があります。親の躾の問題もあるでしょうし、先天的な特質もま
た考慮しなければなりません。
これについて、一般解はないだろうと思います。
<愛国心>
私は日の丸や君が代自体を公的スクリプチャに相当するものだと考
えています。
アメリカの大統領が宣誓の際に聖書を用いて問題がないのは、聖書
が特定の宗教団体に属するものではなく、国家に属するものだと捉
えられているからです。
聖書だけではなく、どのような宗教団体の経典でも、公的スクリプ
チャであるべきです。般若心経然り、コーラン然りです。
ただし、公的スクリプチャの押し付けには反対です。君が代斉唱の
際に歌わなかった生徒を、後で個別に呼び出して指導するのは良く
ないことだと思います。公的スクリプチャを逆踏み絵にするのには
反対です。
女の子に「俺を愛してくれ」といっても、その子は愛してくれるか
どうかは分かりません。大事なのは、男に魅力があるかどうかです。
愛国心を育てたいならば、魅力のある国を作るためにもっと努力す
べきでしょう。
<知育、体育、徳育>
現在、どれも足りていません。滑稽なのは、元々高い水準に合った
知育を意図的に引き下げたら、学校はますます荒れるようになった
ということです。1977年、1989年、2001年に「ゆとりの教育」が導
入されました。結果は惨々たるものです。
体育もひどいですね。体育で大事なのは体力を養わせることです。
ボール扱う技を競わせることばかりに腐心すれば、それが苦手な生
徒はほとんど運動をしていないという状態になります。体育館の中
を走りまわらせるばかりではなく、もっと大自然の中での行動を含
む授業、たとえば、登山などを積極的に取り入れるべきでしょう。
体育は課外活動にも関わるんですが、これはもっと無慈悲でもいい
と思います。練習熱心でなかったり、才能が乏しい子供には、「明
日から来なくていい」くらいの宣告は構わないでしょう。ボブ・グ
リーンによれば、アメリカ社会を動かす要人のほとんどは、こういっ
たスポーツ挫折の経験者らしいです。
徳育は難しいです。「これが徳である」などと徳を型にはめようと
すると失敗します。ただ、徳は重要な要素であることはしっかり説
明できるでしょう。
世界の一流大学を卒業した人々のさまざまな分野での成功事例を研
究してみると、成績が悪かった人ほど成功しているという分野もあ
るという話は聞いたことがあります。
ある分野で活躍するためには、一定の学力は必要です。しかし、一
旦その分野で働き始めれば、徳は無視できない要素になります。言
いかえれば、学力が一定水準に達した集団内での競争では、成功を
左右するのは徳なのです。
人に会わずに仕事ができる投機や投資も例外ではありません。忍耐
や勤勉などの徳がなければ成功は難しいのです。
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
GnuPG Key ID = ECC8A735
GnuPG Key fingerprint = 9BE6 B9E9 55A5 A499 CD51 946E 9BDC 7870 ECC8 A735