"J_Saita3 premium" <J_Saita3@hotmail.com> wrote in message
news:3f34e15e_4@news.premium-news.net...
> 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
>
> ここで
> 観自在菩薩・・・観音菩薩
> 「観音菩薩が般若波羅蜜多の行をされていたとき」
> とある。
> この般若般若波羅蜜多の行とは何をさすと思いますか。
> 皆さんのお考えを承りたい。
>

私は、桑田二郎さんの般若心経の解釈に大変感銘を受けたことがあります。桑田さん
は瞑想こそが、般若波羅蜜多の行であると言ってますね。瞑想という行にはそんな力
があるのかと感心しましたが、自薦するのはなかなか。長い瞑想は出来ません。しか
し、心にヒットするものでした。今も、多くは瞑想できませんが瞑想には、桑田さん
のいう「見えない命の次元=空」という説明が私としては受け入れやすいのです。以
後、私の般若心経解釈は、「空=見えない命の次元」ということにしてください。般
若波羅蜜多の行とは瞑想という理解です。桑田さんは、命の真理を神秘の宝玉のなか
に閉じ込めたと仮にした場合、その宝石を肉眼ですかしてみても、中にはお経の言葉
が見えるだけだが瞑想の意識を集中させると命の真理が超次元的なイメージで映し出
されるといっています。私は、気功(動功)は、かなりこった時期があるのですが、
座禅の瞑想は得意でないのですが、身体を動かしつつ、深く呼吸を繰り返すことで、
別の世界にはいっていきます。座禅は静功でしょうが、私には動功があっていたよう
です。これもある種の瞑想だと思います。見えない命の次元とも言うべき時限に接触
できた気がします。

あくまで私個人の取った手法に過ぎませんが、わたしなりに、手ごたえのあるもので
す。
よって、私の体験上は、空は『見えない命の次元』、般若波羅蜜多の行は大きい意味
での『瞑想(ひとにより動功もふくむもの)』と言う立場です。しかし、crxさんの
お話をおききし、実生活そのものも、これは大きい意味での瞑想だと思うところで
す。これは、古今東西の聖者が、瞑想以上に実生活での天使的な生き様を評価してい
ることを思い出させました。




----== Posted via Newsfeed.Com - Unlimited-Uncensored-Secure Usenet News==----
http://www.newsfeed.com The #1 Newsgroup Service in the World! >100,000 Newsgroups
---= 19 East/West-Coast Specialized Servers - Total Privacy via Encryption =---