kuno@gssm.otsuka.tsukuba.ac.jpさんの<bcdlt8$2vu3@utogw.gssm.otsuka.tsukuba.ac.jp>から
>h_yam@h8.dion.ne.jpさん:
>> > #一面的な「素晴らしさ」は本当は素晴らしくないのかもしれない。
>> 
>>  「かもしれない」ねえ。
>
>  あることがとりあえず私にとって「素晴らしい」と思ったから書いた
>だけで。それが多くの人にとって「素晴らしい」と思えるようなら社会
>的に「素晴らしい」ことになるわけでしょう。

はい。で、
前者の「素晴らしい」より後者の「素晴らしい」の方がより「素晴らしい」と思います。

>  でも社会的な「素晴らしさ」として認知されつつあるかもよ :-)   久野

そうですね。
でも、それは社会的な「素晴らしさ」の認知であって、嫌煙者的な「素晴らし
さ」の認知ではないでしょう。


>P.S. どのようなよい形容詞でも「一面的な」とつければケナすことが
>     できる、というのは覚えておきましょう。:-) ラベル貼り合戦の

形容詞に問題があるのではなく一面的であることの問題だからでしょう。
#従って、それが「実は一面的ではない」とか「一面的であることが許される
#局面である」といった場合には的外れな指摘となります。
##そうでない場合は…

>     手段として好適のようですね。ちなみに「かもしれない」なんか
>     は昔から使われていた常套手段です。

<c>
と言いつつ、自ら「あるかもよ」なんですけど?
#「ラベル貼りである」ってラベル?
</c>

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wacky@ワザと付け入る隙を見せるのが処世術なのか?
       だとすれば見習うべきなのか?