河野真治 @ 琉球大学情報工学です。

18日の日経新聞の坂東眞砂子のエッセイですが、話題になっているようなので。

僕は、エッセイの内容自体は普通だと思う。たくさん生まれた猫を
捨てるってのは、ちょっと前だったら東京でも普通だったし。去
勢/不妊手術を含めて、なんらかの形で生殖を制御するのは当然だ
と思う。猫自体が、そういう風に人間社会で生きている生物なわけ
だか ら。どちらを選択するかは迷う人は結構いると思う。実際、
飼っている雄猫を去勢するべきかどうか悩む人は結構いる。

文化は個人的なものなので、それが、自分個人の文化に合わない、
あるいは、東京ではそういう文化はなくなったのかも知れない。
でも、異なる文化がかなり広い範囲で残っている、あるいは生き
ていることは確か。それは文化なのであって、良い悪いではないし、
高等下等とかの問題でもない。単に違う文化なんだよ。

日経の対応が、『日経新聞社としてあらゆる年代層、小中学生にと
って、ショッキングな 記事である事を理解した上で、作家の動物
愛護のひとつの観念として、日経新聞社のモラル上、載せない事
より、載せる事の方が、言論の自由としてもモラルにかなっている
と判断した』 だというなら、僕は妥当だと思う。 

もちろん、自分はそんなことはしないとか、保健所の処分とかには
反対だとかいうのは良いんだけどさ。でも、文化的吊し上げみた
いなのは、どうかなぁ。ある文化があって、それが「残酷だから
だめだ」と決めつけるのって、「捕鯨反対」とあまり差がないと思
う。

文化のすり合わせを、口喧嘩とか、戦争とかでおこなうのは、人間
の性(さが)だから、しかたないのかも知れないけどさ。特に集団
人格攻撃みたいなのは、猫殺しよりもひどいと思う。どちらかと
言えば、魔女狩りとか、ナチに近いわけだろ? 

---
Shinji KONO @ Information Engineering, University of the Ryukyus
河野真治 @ 琉球大学工学部情報工学科