信じること。宗教と科学
河野真治 @ 琉球大学情報工学です。
宗教を信じるんだったら、ちゃんと「何を信じるべきか」を自分で
選択しないとだめだよね。僕が信じている宗教は、きっと、デカル
トの「方法序説」だろう。中学生で系統的な読書を始めて、最初に
選んだ本みたい。何故、それを選んだのかは、今となっては思い出
せない。百科辞典かも知れない。ただ、中学一年には難しすぎたか
も。もっと、小学生向きな「方法序説」とか「般若心経」とかない
のかな?
科学をやっている人は、割りと原始的な宗教観を持っていて、科学
は科学、宗教は宗教って分けて考えてる人も多い。科学の信仰の中
心は、実験の再現性にあるわけだが、量子力学の出現で、その当た
りも結構、複雑になってしまった。確率的にしか予測できないもの
の再現性ってなんだよ? 結局は、再現すると信じているってことの
程度問題だとも言える。 数学でも、記号で扱えて、無矛盾性を確
信できる範囲はかなり限られている。それを越えた部分は「無矛盾
だ」あるいは「これこれこういう無限のモデルが存在する」っての
を信じるしかない。
そのあたりを後ろめたく避けて通るのも良いが、積極的に「「信じ
る」ってのは必要だ」と肯定した方が良いと思う。「大抵の人は交
通法規を守る」てのを信じていると、実社会的に便利でしょ?
宗教がそういう「信じる必要があるもの」を勝手に発明して、どん
どん世の中を複雑にするのは勝手だが、「何を信じるのか」っての
は、自分で判断するべき。なんだが、自分で判断を捨てて「とにか
く信じる」ってのは、ある意味、楽なんだよね。
イスラム自爆戦士を作るのはある意味簡単で、その自分の判断を捨
てさせて、とにかく信じさせれば良い。周りに何人かそういう風に
信じていて幸せそうなのを配置すれば、染まるのは簡単。そういう
システムはいろいろある。鼠講なんかも、そういう手法使うし。で
も、それは間違っている気がする。
こういう「自分が信じるものを選択する」という視点から、多様性
を持ちつつ、全体的な整合性もあり、人類全体の福祉に貢献するよ
うな、現代的な宗教(または、科学)ってのがあり得ると思ってます。
残念ながら、それは統一宗教見たいなものにはならないだろうけど。
いろいろな信仰の間のメタプロトコル見たいなものかな。
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Shinji KONO @ Information Engineering, University of the Ryukyus
河野真治 @ 琉球大学工学部情報工学科
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