《こどもの日、新聞社説に見るエリ−トボケ=後継者育成責任放棄》

こどもの日、新聞社説にかけているのが後継者育成の視点だ。
これはエリートボケといってよいのもだ。


《エリートボケが蔓延し、「国の保護と保護の妄想」で子育て無責任、放任主義が巷まであふれている状態》

エリートボケ?

つまり、「自らの老後の生活を国がら保障してもらえ、後継者育成に関心が薄いエリートならではのもの」
といってよい。

マスコミなどエリートが、このような後継者育成を放棄した気分で記事を書くから、下々までそれに習い、後継者育成に無関心放任主義がはびこっている。

国から老後の生活を保障してもらえもしない下々まで?
後継者育成責任を放棄し、家族経営もちゃらんぽらんになっている。

エリートボケが蔓延し、「国の保護と保護の妄想」で子育て無責任、放任主義が巷まであふれている状態だ。


《無神論を反省すべきとき》

そこに戦後の「死んだら灰になるだけ」という無神論が重なり、自らのことしか考えず、後継者育成責任など無関心を促進している。

エリートこそ、後継者育成に必死で取り組むべきではないのか?
自らの生き様やモットーを魂として、後継者教育に取り組み、後継者の中に自らの魂を永遠に引き継いでいくべきだ。

「家族経営や子育て無責任を生み出す国の保障病を改めること」とあわせ、無神論を反省すべきときだ。

《魂をこの地に継続する家族政策を》
続けてぜひお読みいただきたいものです。
http://homepage2.nifty.com/tanimurasakaei/tamasii-kono-kei-kazo.htm


http://homepage2.nifty.com/tanimurasakaei/tanimu-sin-nen%5b1%5d.html