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昨年の十月七日の第三十八回本部幹部会の席上、池田大作氏は、徹底した対立者攻撃を展開するように、学会員を煽っています。
 
十月十一日付の聖教新聞には、
プラトンは述べている。
『徹底的にどうしようもなく道を踏みはずした悪人に対しては、怒りをあらわにすべきである』
 
どうしようもない悪人には『怒り』をぶつけよ!----学会の精神も、これである。

プラトンと同じである。
 日蓮大聖人は『瞋恚(=怒り)は善悪に通ずる者なり』と仰せである。
 
悪に怒りを燃やすのは『善』なのである。
『燃え上がる怒り』がなくなったら、もはや『正義』の心はない。

心は死んでいる。死んだ心に、功徳もない。喜びもない。幸福もない。
 
怒りの心を燃やして『戦闘』する! 『攻撃』する! 『追撃』する! これこそが仏法であり、

正しき人間の道である。
 草創の学会は、悪と徹底して織吋鵐ɕした。
『戦闘精神』が、みなぎっていた。
(中略)二十一世紀へ、もう一回、本当の『学会精神』を燃え立たせましょう!」


   ・・・

<上記、池田氏発言考察>

これは宗教者として、どうやって悪人を救うのでしょうか?

愛も慈悲もありません。

私の立場としては、
悪人は救われる為に生まれて来たと考えるべきで、
救いへの労苦こそ楽しいものと思いますが。
いかがでしょう?

これは人権問題でもあります。
例えば、刑務所内での更生プログラムなど、
世界中で研究されているでしょう。
誰でも、善くなって幸せになる権利があります