In article <newscache$m7412j$2l1$1@news01d.so-net.ne.jp>,
        shimada181@spam184.1818.yahoo.co.jp writes:
>    名古屋と金沢から来た急行を敦賀で連結してました。
> 
> > あまり意味無かったと思うんだけど
> 
>     一日に1本ではねぇ…オマケに小浜線や宮津線を通る
>    のでは…当時の新聞は「従来の京都乗り換えという常識を
>    破った」とかもてはやしていたような記憶がありますが。

  米原から豊岡までの「大社」のルートは京都経由に比べて大回りな印象があり
ますが、実は大差ありません。現在の営業キロで、「大社」のルートは220.7km、
京都経由で216.1km、その差はわずか5km未満。なので、新幹線を使わずに米原・
名古屋あたりと山陰線豊岡以西を乗り換えなしで結ぶ列車として見た場合、「大
社」はそう無意味な列車でもなかったのです。ただ、乗り換えてでも新幹線で時
間を短縮することが一般的になっていくと、「大社」のような列車の存在意義も
次第に薄れたようで。「最長片道切符の旅」にも、米原から鳥取まで同列車を利
用するおばあさんの話が出ていますが、むしろ「そんな利用の仕方をする人がい
るんだ」的驚きを持って紹介されていたと思います。
  もちろん、小浜線・宮津線内から名古屋や北陸や山陰線への連絡列車としての
働きもあったでしょう。また、北陸から山陰へは「大社」のルートなら近道でも
ありますし。
  個人的には、天橋立発着に短縮されてからもしばらく「大社」を名乗っていた
のが不思議でした。
                                                nide@ics.nara-wu.ac.jp