In article <newscache$m4o6ti$pbm$1@news01d.so-net.ne.jp>,
        shimada181@spam184.1818.yahoo.co.jp writes:
> > 富山の話で言うと、昭和55年あたりまで富山以東の北陸本線は、
> > 電車普通列車がありませんでした。特急、急行、快速は電車
> > でしたが、
> 
>     その快速って特急か急行の間合い運用でしたね。

  1978年11月時点で、富山―糸魚川間に快速は3往復あります。全て電車ですが、
朝と昼の1往復は「立山」の末端。夜のは福井方面から全区間快速・普通で糸魚
川まで通してくる列車です。この夜の1往復を含め、北陸線金沢付近の快速電車
は「くずりゅう」とかと共通運用だったのでしょうから、まあ「急行の間合い」
と言えなくはありませんが。
  その後「立山」は夜行だけ季節列車として残って583系化のうえ富山止になり、
富山―糸魚川間は系統分割で単独の快速電車となって、このとき485系の間合い
運用になるのですが、それはもう少々後、1984年頃のことじゃなかったでしょうか。

>     七尾線・能登線直通急行を併結していたためです。
>    列車名は時期によって〔ゆのくに〕の一族だったり
>    〔奥能登〕だったかと思います。

  1974年〜77年頃にかけて、「越後」と併結されていたのは「ゆのくに」でした。
このうち上りの「ゆのくに」は七尾線内は「能登路」と併結でしたが、「能登路」
は金沢止まりなので「越後」とは併結されていません。なお「奥能登」ないし
「おくのと」という定期急行が走ったことはないのではないかと思います(輪島
と珠洲を結ぶ観光指向の国鉄バスが長い間「おくのと」という名前で、この名で
指定券も発売していましたし)。

> > 急行〔しらゆき〕は〔白馬〕と併結するためとききましたが。
> 
>     その他にも秋田−青森間で〔きたかみ〕(←〔あけ
>    ぼの〕)を併結していたことと、国鉄に電車化する
>    気もカネもなかったからでしょう。電車になったのは
>    「エセ【白鳥】」(福井−青森)になった時でした。

  どちらかといえば、非電化区間に直通する列車を併結するためにDCで残してい
たというよりは、急行を電車化する車両がなく(造る金も気もなく)、それでDCで
残っているのをよいことに非電化区間に直通する列車を併結していた、という感
じでしたね。
                                                nide@ics.nara-wu.ac.jp