電話嫌いのための電話器
   (または典型的な電話嫌いのための
       矯正電話器の商品コンセプト)

徹夜明けで帰ってきて昼過ぎまで枕に顔を押し付けていたら、
居間で電話が泣いている。朦朧とした意識の中から現実を踏
みしめる足を引き抜くと、居間のソファに凭れている電話に
声を掛ける。「どうして泣いているの」電話はこちらを見よ
うともせずに、泣いている。「わからないわ、どうして泣い
ているのか分からないけど、泣きたいの、あなたはそんな私
をどうして慰めてくれないの?」電話は黒いワンピースから
透き通るような白い四肢をのぞかせて、その透明な両手に顔
を埋めて泣いている。
ソファの電話の隣に腰を下ろすと、電話の肩を抱きかかえて
ささやく、「いいから、好きなだけ泣くといいよ。」電話は
背中に両腕を回して纏いつくと、ぼくの肩に顔を埋める。
受話器のフックが外れて、声がする。「おっ、起きとったか、
ご苦労だけど、来週の月曜日か火曜日、スケジュールが空か
ないか?クレームのことで客先でミーティングが開かれるん
だが、出てきてほしいんだ。」ぼくは電話の柔らかな髪を撫
でながら、なにもない壁を見つめている。こうしていると、
ジェームス・ボンドにでもなったような気分だ。そういえば、
ジェームズ・ボンドは電話で居留守なんて使わない、やぱり、
彼のプロフェッショナリズムが、そうさせるのだろうか、そ
れとも電話一回毎に歩合給がつくのだろうか、上の空でそん
な取り留めの無いことを考えながら、ぼくは事務的に答える。
「火曜日でよければ、」受話器の向こうで声が踊る「そうか、
すまんな、じゃあ詳細と場所、時間はそっちのFAXに送っ
ておくから、よろしくたのむな。」ガチャンと受話器を切る
音がして、辺りは静寂に包まれる。
電話が顔を上げて尋ねる、「私のこと嫌いになった?」ぼく
は電話をやさしく元の位置に戻して呟くように答える「そん
なことないよ。」
そしてカレンダーの来週の火曜日にマジックでマルを付けて、
『クレーム対処』と文字を書き込むのだった。
ぼくは電話器を変えてから、昔からの電話嫌いが28パーセ
ント程改善されたような気がした。