昨日はほとんど雪ありませんでしたが、今日はしっかり暴風雪。見て下さいよ昨日と今日の庭の違い。
そんな悪天候にも関わらず、むしろ悪天候だからこそ、初詣に行きます。去年もかなりあちこち行きましたけど、今年も神社巡りです。去年は行っていないところを選んで……八橋の菅原神社と日吉八幡神社、川尻総社神社。特に総社神社は、久保田城築城前の神明山に鎮座していた神社ですので、一度は行ってみたかったのです。そして、ここは去年も行っていますが、八幡秋田神社と与次郎稲荷神社。旅行者としては与次郎稲荷の氏子のつもりでいますから。
本拠地のすぐ近くに、市道明田山崎線の旧道があります。旧道になったのはつい2、3年前ですので、私にとっては旧道の思い出ばかりある土地です。で、新旧道の分岐点が……公園扱いになっていました!? えー、何この東屋。
秋田手形郵便局で父から頼まれていた年賀状を投函し、そのままタカヤナギの駐車場を横断して、秋田東中学校前から下中島踏切を渡って行きます。
踏切の先ですぐ右へ折り返すと、北ノ丸新町からまっすぐ続くけど行き止まりの道。ここに踏切があるのが本来の形じゃないかなあって思える場所ですが、果してかつては存在していたのかどうか……。ここ、旧町名としては手形休下町ですが、写真左側は新中島土手町になってます。新中島の3町も、さっき調べたら、区画が曖昧ですね……。本町・末町・土手町の他に、所属不明の区画が存在してます。数少ない旧区画の地図なのに、信頼が揺らぐようなのは勘弁して欲しいです。
北ノ丸新町から新中島末町へ降りて行く坂道は、小・中学校に通っていた時分の通学路でした。当時はバスでしたけど、今は徒歩。感慨深いものがありますね。で、この坂の直下は、外堀があったところです。結構近年まで湿地が残っていたと聞いたことがあるのですが……崖はあるけど堀は跡形もないようですね……。
坂を降りたすぐ右に、想定していなかった神社を見付けました。参道脇に狐像がありましたので、稲荷神社であることは間違い無いのですが、他の素性は全く判りません。旧町の鎮守が神社合祀政策を免れて、稲八金天神社みたいにならず残ったようなものでしょうか?
途中でまだ堀跡を諦められず、バス通りから離れて崖に近い側を歩いたりしましたが、最終的にはバス通りへ戻らざるを得ません。保戸野新橋を渡って中島から保戸野へ行きます。
隣の鷹匠橋は、小・中学校の帰りの通学路でした(帰りの時間帯にはバスが無い)。鷹匠橋と保戸野新橋の間(保戸野新橋寄り)には「鑑の松」という保存樹があります。これは、旧市街の旭川に土手があった時代の名残です。
保戸野新橋からは、川沿いの細道を除くと二方へ道が別れます。右の保戸野愛宕町へ行く道がバス通りですが、ここは左へ向かいます。こちらは保戸野新橋町で、名の通り保戸野新橋と直結した町です。藩政期には警察に相当する機関が置かれていました。
帰路の通学路である千秋トンネル通りを渡ります。鷹匠橋方面を見ると、久保田城本丸の新兵具御隅櫓が良く見えます。天守っぽい4層の造りになっていますが、本来は2層で、付け足された2層は展望台です。久保田城絡みの映像で秋田市を俯瞰する場合、大抵ここからの視点で描かれますね。
千秋トンネル通りを渡ったところから保戸野中町です。ここの角に凄まじい豪邸が建ってまして、それこそ小学生の頃から印象深く思っていました。その割に、何の屋敷なのか調べようとは、今日に到るまで思っていなかったのですが……調べて納得、辻兵屋敷なのね(※辻兵……辻兵吉、秋田大町の呉服店「辻兵」当主の名跡)。
保戸野中町は北と南に食い違う2町です。北側を半分くらい進んだところに、秋田聖救主教会聖堂があります。昭和5年の建築で、秋田市指定文化財です。
こちらが保戸野中町の南側で、別名を六郷町と言います。こちらは元和5年(1619年)に町割されたことが明確になっており、六郷城に詰めていた家臣を一国一城令施行時に呼び寄せたことで成立した町です。
保戸野中町の果てで垂直に交わる通りが、保戸野侍町の目抜き通りである保戸野本町です。東側は保戸野川反橋に接続します(ちょっとだけ写真にも写っています)。侍町なのですから、目抜き通りと言っても道幅は意図的に細く造られています。
保戸野本町を西へ行くと、菊谷小路という大通りにぶち当たります。元々は名の通りの小路でしたが、昭和20年に空襲対策で強制的に拡幅されたため大通りになり、今では県道233号土崎港秋田線の一部にもなっています。拡幅のため道路東側は古民家がまったく残っていないのですが、東側には僅かながら残っており、保戸野本町から来た正面には正に風格溢れる田宮商店さんが鎮座しています。
菊谷小路を渡って、保戸野新町に入ります。ここは小禄の町で、厩町との名もありました。
保戸野新町も、保戸野みその通りという大通りが交差します。ここは旧市街の果てなのですが、少し南に下がると、旧市街が西へ延びている町が現れます。保戸野北鉄砲町です。
北鉄砲町には入らず更に南へ行くと、食い違いのある交差点に出ます。ここは六道ノ辻と言い、藩政期には土手と堀を巡らせた関門が造られていた場所です。明治初期に整地され新大工町となりましたが、今も道がクランクになっているところが、関門の名残を留めています。
六道ノ辻から南へ下がると寺町です。目的地とは方角が違うのですが、一度見てみたいところがありましたので。最初に現れる寺、鱗勝院がそれです。この山門は、明治19年に秋田町の大半を焼失させた「俵屋火事」からの復興の際、久保田城の裏門を払い下げられて移築したものです。久保田城も明治13年の大火で建造物のほとんどが焼失していたのですが、僅かに残ったものが裏門と、現在も城内にある御物頭御番所でした(他にもあったが火災後解体)。
藩政期当時のままでこそありませんが現存建築物ということで、一度間近に見たかったのです。……この時が一番吹雪が酷くてですね……。
改めて六道ノ辻から西へ向かうと、保戸野表鉄砲町と花立町を経て、久保田城下町から脱出します。この道は羽州街道であり、土崎港町から桧山、大館などを経て津軽弘前へ向かいます。勿論そこまで行ったりはしませんが……。
途中、八橋一里塚があります。まったく現存していないのですが、場所は概ね特定できているため、近傍にあるけやき通りとの交差点を「八橋一里塚交差点」と命名しており、けやき通りの中央分離帯端に標柱が建てられています。
やっと辿り着きました、本日神社巡りの目的地一番目……八橋の菅原神社です。祭神は勿論菅原道真公であり、近世教育の拠点になっていた模様です。解説によると、境内の筆塚は秋田市指定有形民族文化財だそうなのですが……なんか一杯あった(汗)。八橋人形に天神が多いのは、この神社の祭祀に由来します。
去年の神社巡りでは、既に4日だったためかどこもほとんど人は居ませんでしたが、今日は……参拝者は少ないけれど、社殿に巫女さんが常駐してました。なのでお賽銭とは別に、なんとなく御守りを貰ってしまいました。
第2の神社は、同じく八橋の日吉八幡神社(ひえはちまんじんじゃ)です。日吉神社は山王信仰であり、ここの南に広がる官庁街が「山王」地区と命名されたのはこの神社に由来します。神社所在地は八橋ですけど。久保田外町(町人町)の総鎮守であり、「八橋の山王さん」の名で親しまれていました。北参道からは仏教様式、東参道からは神道様式で建物が配置されています。……あれ? 山王なのに山王鳥居じゃない。今気付いた。
ここも社務所に巫女さんが常駐されていましたので(以下略)。
日吉八幡神社から南下すると、八橋運動公園を経て山王に入ります。山王は県庁・市役所その他が集中する官庁街ですが、周辺は職員向けの飲食店を中心とした商業地やオフィス街、住宅街もあります。
御賽銭もちょっと乏しくなってきたので、どこかで暖を取るためコンビニで何か買おう……と思っていたら、なんと最初に現れたコンビニがセブン-イレブン! 一昨年、秋田県に初進出したと聞いて以来、ここで初めて見ましたよ。これは入らざるを得ませんね!
ということで、セブン-イレブン秋田山王6丁目店で、「手包み特製豚まん」を購入。さくっと食べて、先へ進みます。
山王も川尻と考えればアリだけど、現在の川尻地区に徒歩で来たのは初めてだなあ……。ということで、総社神社です。久保田城が置かれた神明山にあった複数の神社が起源で、築城に伴い川尻村へ移転して、明治末に合祀されて現在に到ります。宮司は戦国時代から現在まで川尻氏が引き継いでいます。久保田城に縁のある者としては、一度来てみたかったんです。社殿は昭和6年に焼失して、以来仮社殿のままだそうですけど。
ここ、境内に大戦中の特攻隊士の写真が展示されていて、キャプションの付け方がとても右っぽかったです。神社のものではなく、氏子だろう地元企業のものみたいですが、ちょっと考えてしまうものがありました。折角の機会ですから全部見てみましたけど、見ている間中違和感が拭えなかったです。
で、ここも社務所に以下略。
総社神社から2本南を走る道路が、旧羽州浜街道(酒田街道)です。ここを通って、川尻村から久保田へ戻ります。この道、手元の「Superマップル」だと県道56号として描かれているんですが……県道56号ってこの後で横断する新国道のこと。こっちが支線に指定されたなんて話、聞いたことないんですけど、一体どういうこと? 盗作対策の偽情報とかですか?
新国道を横断し、旭南小学校の校門付近から、久保田に戻ります(道の右側はもっと手前からですが)。ここは羽州浜街道が、反対側からやってくる羽州街道に合流する点である、馬口労町です。交通の要衝ですから、名の通り馬の取扱いが行われていて、「馬市のせり場」が示されています。
旭南小学校(写真奥)の隣に、新中島以来となる素性不明の神社がありました。帰宅してから地図で確認したところ「稲荷神社」だそうですけど、正式名称などは不明です。ここは狐像ではなく、狛犬でした。社殿には「馬口労町集会所」なんて看板がかかってるし。
「あねっこもつぃ」で有名な「はくすんどう」。いや本当に有名かどうかは判りませんけど。「あねっこもつぃ」の実物かポスターでもないかなーと、表から扉周りを眺めていたら、店内に居た人にお辞儀されてしまいました(汗)
羽州街道に入り、刈穂橋で旭川を渡ります。
刈穂橋を渡った先は「向馬口労町」と記されていますが、昭和42年の住居表示実施によって旧町が廃止された時点では馬口労町の一部になっていました。従って明治の町名確定時には馬口労町だったことになります。ここまでが外町(町人町)になっていました。……手元の昭和28年版地図だと、亀ノ町外張南新町に含まれていますが、それだと内町(侍町)になってしまうので、流石に違うかと……ああ、またこの地図の信頼性が揺らぐ。
大分暗くなってきました(現在16:03)。向馬口労町から先、県道28号を渡って直進方向の道は、現在の大通りは一旦右へクランクするようになっていますが、本来の羽州街道は直進です。ここは楢山登町。
「楢山」は現在の金照寺山の旧称で、山麓に楢山村があったことに由来します。「登町」は、江戸へ上る道だからという説がありますが誤伝で、正しくは旗(つまり幟)を掲げる足軽が住んだ町です。
直進のみ、歩行者専用道路、指定車・許可車・軽車両を除く……直進制限で歩行者専用道路って何!? と一瞬思いましたが、良く考えてみればこの標識は「指定方向外進行禁止」。つまり右左折を禁止している訳で、そっちの道が歩行者専用ってことですね。見回してみれば、ここ左折できました。そっちを見ると……
……狭いことは狭いけど、そこまで書くほどかな? という印象です。単なる一方通行で良いのでは。まあ、住民以外の車両を排除したいというのが意図なのでしょうけど。この規制内容だと、住民はどっち向きにも通行できるんだよね。
楢山は内町ですから、屈曲の多い道になっています。楢山登町は突き当たりが丁字路で、街道は右へ曲がります。その突き当たり正面ちょっと右に広い空き地があります。……ここ、与次郎稲荷神社の跡地です。ついこの前の12月上旬頃に解体され、市内にもう一ヶ所ある与次郎稲荷神社(この後で行きます)へ合祀されたのだそうです。こちらの神社は個人所有で、管理者だった御夫妻が10年ほど前に亡くなられて以来、地元では親しまれていたものの老朽化に対応できなかったのだとか……。
ここの前も以前通ったことがある筈なのですが、残念ながら記憶に残っていません。今となっては、ちゃんと参拝しておかなかったこと、記録しておかなかったことが悔やまれます。
楢山登町を北上すると、下堀跡のクランクを経て亀ノ丁虎ノ口になります。楢山は外郭と呼ばれ足軽町ですが、亀ノ丁は土手と堀に囲まれた郭であり、中級家臣が住んだ格上の町です。その先でまた道は丁字路に行き当たるので、旭川端へ出て亀ノ丁西土手町(有楽町)を進み、南大通りへ出ます。
現在は南大通りが中通と南通の境ですが、中通郭と亀ノ丁郭を隔てていた大堀はもう少し北にあったため、道を渡ってもまだ亀ノ丁です。ここは亀ノ丁堀反町、つまり堀に沿った片側町だったところです。
マチャラギー(違)
土手長町通りより1本東側の道を北上すると、途中で右クランクが2回あります。その1回目のクランクの手前が大堀跡で、秋田南税務署の北を通る道は堀を埋め立てた上に作られています。ホテルグランディア秋田は、米の積み卸しを行っていた空堀を埋め立てた上に建てられています。
そこからさがら透析内科・長谷山内科の交差点までが下長町、中央通りまでが中長町、広小路までが上長町です(南端以外は概ね現在の道路に沿っているところなのです)。中長町には解説柱が建てられていました。
秋田市を代表する百貨店だった木内ですが、営業規模をすっかり縮小して久しいです。どれほどかと言うと、「17時閉店」これで伝わるでしょう。そんなだから正月三箇日は営業してないだろうな、と思っていたのですが、意外や営業してました。あと37分で閉店ですが。南口には生ジュースの(買ってもらえなかった)思い出があります。
西隣に駐車場があります。これも以前は立体駐車場だったのが、平面になっちゃってました。そして勿論17時閉鎖。どうやら17時に問答無用で閉鎖されるようで、閉店ギリギリまで店に居ると車出せなくなるよ、って警告が出てました(^^;;;
隣の土手長町中丁に建つ、タワー以外で秋田県最大の建造物、ベルドゥムール ランドマーク秋田。昭和の遺産(明治や江戸は少ない……)が多い周辺では異彩を放っていますね!
広小路は中通郭の北端で、外堀を挟んで三ノ丸下中城と面する町です。中通の各町とは別に、単独で町を形成するように扱った史料もあります。藩主一門などの大身がずらっと軒を並べていました。
西根小屋町上丁と東根小屋町に跨って建設された「エリアなかいち」、その一番広小路側にあるのが秋田県立美術館です。エリアなかいち、直接目にしたのはこれが初めてです。行かないけど。
髭が折られたりマスクをしたり、何かと話題になりやすい、与次郎狐の像がありました。柱が邪魔になってるけど、まともに見なくて良かったのか良くなかったのか。目つき悪いよねえ……。
中土橋を渡って三ノ丸下中城へ入り、松下門跡から二の丸へ……行くのが普通なんですけど、松下門の坂はもともと屈曲していたのを明治時代に直線化したと聞いているので、途中から脇の階段を使いました。それだけで後は帯曲輪を通れば良かったものを、割烹松下の裏の階段も上ってしまったため、直接本丸の南多門長屋跡へ行ってしまいました。去年も通った、表門の落雪対策での回り道です。
表門前の郭へ行き、表門をしっかり撮影しました。もうすっかり暗くなってしまっているため、ずっと背負っていた三脚を取り出して……っ!? 雲台が引っこ抜けた!? しかも雲台の柱の上にあった水準器はそのまま取れてしまった!? うわー、三脚分解してしまったー!!
水準器はともかく、雲台は挿せば使えるので、取り敢えずこの場は問題ありません。カメラ自体も回転方向の水準は認識できますし。しかしこれ、買い直さないといけませんね……
表門から入って正面、政務所跡に建っているのが、八幡秋田神社です。元は八幡山(現在の明徳小学校付近)にあった正八幡社で、佐竹氏が常陸から伴って来た氏神でした。明治11年に東根小屋町へ移転し、その際に境内社として佐竹義宣公を奉る秋田神社が建立されたのですが、明治32年に本丸へ遷座し、明治40年に両社が合祀され八幡秋田神社となりました。社殿は正八幡社のものをそのまま使っていた……のですが、平成17年に賽銭泥棒が入り、盗めなかった腹いせに放火するという愚かなことをしでかしたため、江戸時代からの社殿は焼失の憂き目に合いました。現在の社殿は平成20年の再建です。
で、ここも(以下略)。あと、境内社として「雄柳龍神」がありました。昨年参拝し損ねた、古川堀反町にあった蛇柳龍神ですね。ここも参拝しました。
そして! 神社巡りの最後を飾るのは、旅人の主神と言える与次郎稲荷神社です。神明山に居を構えていた狐が、久保田城築城のため土地を明け渡し、代地を拝領する見返りに藩主直属の飛脚として仕えたという伝説の主です。従ってここでは狐は「稲荷神の使い」ではなく「神そのもの」です。髭を折ったり足蹴にしたりしてよいような相手では無いのですよ……いや、使いであっても良い訳ありませんが。
昨年ここへ来て以来、私は自分をここの氏子だと思うようにしていますので、賽銭もここだけ5倍にしているのです。
さて、神社巡りも終わったということで、帰路に着きます。御本丸からの最後の風景は、東側多門長屋跡から見下ろした手形の夜景。中央の高層ビルはツインマークス、その右手前はランドシティかな? その間に秋田駅の北端がちょっと見えています。
裏門跡を通って二の丸へ下ります。裏門、つまり鱗勝院の山門は、かつてここに建っていたのです。二層の楼閣だったということです。
黒門、渋坂、Weロード、六甲と通って、サンクスで買物して帰宅。例によって夕食も写真を撮るんですけど、もう結露して結露して。
今日は外出せず、父のパソコンを調整したりとか。HDDが逼迫してると聞いていましたので、パーティション一つ潰して主パーティションを拡張しました。どうにも上手くいかないなあと思って色々調べたら、スワップファイルをマウントしているのが原因だったようですな。
今日も微妙に雪の降る中、まずは高校の先輩である45ACPさんと昼食をご一緒しつつ、Fani通新刊などをお渡ししてきました。でもって次回の打ち合わせ……という程でもないですがお話を。また宜しくお願いします、今度は挿絵編集ミスらないようにしますので(汗)
続いて駅にて、懲りずに「あけぼの」キャンセルチェック。勿論玉砕。もう駄目ですね、新幹線の切符を発券しましょう……と一旦は指定席券売機列に並んだんですけど、どうせ帰りも通る道ですし、今やる必要もないかと思い直して離れました。代わりにトピコで御土産を見繕います……実際に買うのは明日ですが。
アトリオンへ。帰省と言えば献血ですよ。ただ、アトリオン献血ルームの午後開始は14:00からですので、30分以上余裕があります。へばまずは、滅多に行かないところですが、2F展示室へ行ってみました。秋田国際美術家協会のプレ創立展が行われていると、事前にちょっと情報があったものですから。……アウェーというか、一つだけとても華やかだった、という印象です。私は芸術を解する人間ではないので、抽象的な作品については何も言うことができないのですが(写実的な作品なら何か言えるのか、と突っ込まれても困りますが)、あかつきさんのすぐ脇に展示されていた「農の回想3」には引き寄せられました。
そうこうしているうちに14時なったので、1F献血ルームへ行きます。今回は久々の400ml献血ですよ。……秋田の人は自分の情報にルーズなのか、隣近所の人の問診票が丸見えだったのですが……あーあー気にしなーい。いやあ、400ml献血だと終わるのが早いですね。なお、ポスターは貰えませんでした。
今度はB1Fへ行って、あきた県産品プラザで御土産を物色します。ここの場合、自分への御土産になってしまうのですけどね。発売からずっと待ち望んでいた「秋田弁単語カード」と、毎度の「羽後町古民家ポスター」×4を購入しました。秋田弁単語カード、帰宅して早速両親と見てみたところ、両親は翻訳可能率99%、私は90%ってところですね。古民家ポスターは……現在未入手はNo.13だけなのですが、珍しくも本拠地に居るうちに開封確認してみたところ、
含まれていませんでしたorz まだ揃わないのか……。
フォーラス6Fジュンク堂書店にて、
以上を購入。毎度、読み切れないほどの郷土資料です。最後のなんか、箱入りハードカバーの884頁ですよ。どう読んだものやら。
そうこうしてから帰宅……あ、結局、新幹線の切符発券するの忘れてた。
最終日です。やり残していたことと言えば……「超神ネイガー 勝ぢ抜ぎ大バトル」の録画を家族総出でまとめて観たり(^^;;; ロケ地を表示して欲しいなあ……。市立体育館は判りますけど。
窓越しの干柿が逆光に映えます。
荷物をまとめて、父の車で秋田駅へ行くのですけど、それこそ「徒歩3分」ではありませんがそれに近い距離ですのにね。しかも母まで乗り込んで、駅で私を降ろしたらそのまま帰宅ですし。
駅でお土産を物色。が……ここで改めてアトリオンへ行って、自分へのお土産を追加購入したりします。いぶりがっこととんぶりは東京では買い辛いですから。そして、昨日に引き続き今度こそと、また羽後町古民家ポスター×4を購入。
以上。やったー! とうとうNo.13が手に入った、これで全種揃いましたー。ギリギリでも買いに来て良かったです。……あ、このポスターの箱に書かれている詩(著: 竜騎士07)、赤の箱だけちょっと違うんですね。
改めまして、改札脇の券売機で乗車券・新幹線特急券を発券し、晩御飯を買い込んで(羽後牛弁当があったら買うつもりでしたが売り切れ)、臨時のこまち90号に乗り込みます。E3系に乗るのもこれが最後でしょうね……。だからわざとE3系の便を狙って予約してたんですけどね。
大曲 - 角館間の右側に見える、四ツ屋のおばこ……じゃなくて、光の列。大台スキー場あたりでしょうか?
在来線区間では、大曲・角館・田沢湖の3駅に停車。その他、志度内信号場・大地沢信号場・雫石で運転停車しました。……雫石で運転停車!? 普通に客扱いしても良かったんじゃ。
盛岡駅ではやてと併結しますので、いつもの通り3回停車します。……が、その1回目、明らかに不自然な停止をしました。徐行状態になってからでしたが、非常ブレーキ作動しませんでしたか……? そう思っていたところ、2回目停車になるための発進がいつまで経っても始まりません。アナウンスによると、ドア点検のため暫く停車するとか。一体何が?
盛岡発車は10分遅延しました。そして何と、更にドア点検を行うため、新花巻駅に臨時停車! 仙台便以外じゃ非常に珍しい事態が発生しましたよ。確か14号車とアナウンスがされたと思いますが、何があったんでしょ……盛岡で停車前に開扉したとかですかね?
お約束の武蔵浦和。
東京到着も9分遅延しまして……武蔵境駅からのバスは、もともと最終ギリギリだったので、こうなるともうこのバスでは帰れません。ならばどうするか? ちゃんと想定してありますよ、吉祥寺駅発のバスが2本、他より遅い時刻に発車することを確認しています。行き先は関前西公園なので、前線基地からはちょっと遠いんですけどね。
その、関前西公園行きバスの最終2本目が出た直後、吉祥寺駅に到着しました。最終までは40分あります。まあここまでは想定内ですから、駅前のコンビニで明日の朝食を買っておきましょう。関前西公園で降りてからコンビニに行こうとすると更に遠回りになってしまいますからね。それからバス停で、寒風に曝されながら、小説「東北ずん子」など読みつつバスを待って、以下バスに乗って普通に帰宅です。
それでは最後にお約束。「まあ、また、元の生活が戻ってくるかと思うと……嫌ですね」
昨日の昼過ぎから、左股関節に妙な痛みが生じています。階段を下りる時とか、瞬間的に激痛が走るので、歩くペースが落ちてしまいます。昨日は雨で出社が徒歩(なので朝は間違いなく無症状)、退社がバスを使いましたから、まだ良かったのですが……今日は自転車。寝ている時から既に体勢を変えられず辛かったんですけど、普通に歩くのも大変になってまして、まして自転車となると……
まずホ○○○を跨ぐため右脚を振り上げる時、左脚に力が入って激痛を引き起こします。どうしたものかと考えた挙げ句、後ろからではなく前から右脚を回しました。これなら左脚(というか腰)をあまり動かさずに済みます。それでも痛いんですが……。
そして走っている間は、当然クランク一周毎に痛いんですよ。痛みはすぐに通過するので耐えられますけど……停車のため左靴をペダルから外して、発車のためまた噛ませる、この動きが辛いです。ガードレールや柱があったら、極力靴を外さずに手で支えるようにしましたが、こういう日に限って気温が低くてね!
日中は日中で……ほとんど座りっぱなしの内勤なのでまだマシとは言え、トイレや昼休みや会議で動く時が厄介です。ああもう、旧前線基地の近くに整形外科があるから帰りに行こう、と決意しました。したんですが、こういう日に限って残業でね!
結局病院に行くことはできず、痛みを堪えながら帰宅しました。うー、回復しないようなら、明日にでも改めて病院行こうか……